よいお年を

いつもありがとうございます。

 

今年もあと少し。

1年間、

お疲れさまでした。

ご活躍さまでした。

お楽しみさまでした。

 

2022年はどんな年だったでしょうか?

 

私は2月に退院してから、

 

身体を少しづつ動かしたり

 

頭をつかったり

 

人と会ってコミュニケーションをとったり

(入院中は他人とコミュニケーションとる時間がかなり少なかったせいか、
退院直後は人に会うのがおっくうになっていました)

 

さまざまなリハビリをしてきた1年だったと思います。

 

今年の漢字で選ぶとしたら「再」(リハビリの「Re」)かなあと。

 

さて来年はどんな一年になるか?

 

 

最近、ある動画で

 

ある私の苦手な元政治家が出ていて

 

「私は今まで本当に多くの老害をみてきました。だから、そういう人は早く引退すべきです。」

 

と話していたら、MCの人が、

 

「では○○さんも”老害にならないために引退します。

 

だから皆さん一緒に引退しましょう”というのはどうでしょうか?」と、

 

冗談ぽく言ったら、その元政治家が

 

「それは言っちゃだめです」と慌てていました。

 

「あいつは老害だ」と言っている人が老害に見えるときもあるなあと思いました。

 

私は「刷新」という言葉が好きです。

 

最近は地図もスマホで見たりするので

 

車のナビを使うことも減ったかもしれませんが、

 

ナビのバージョンアップ(刷新)をしていないと

 

現実の土地、領土、場所は変化していっているため

 

道に迷ってしまうこともあります。

 

 

私たち人間も

 

世の中とはこういうものだ

 

という地図のようなものを脳のなかに創り

 

それを通して

 

世の中を見て聞いて感じて考えています。

 

他者に対してもこういう人だとか、

 

自分に対してもこういうやつだとか、

 

判断しがちです。

 

それらの地図もバージョンアップ(刷新)せずにいると

 

人生に迷ってしまうこともあります。

 

ある意味、

 

「あの人変わってしまったね(老けた、頭が固くなったなど)」

 

と言われる人は

 

実は自分を変えようとしてこなかった人で

 

「あの人変わらないね(若いね)」と言われる人は

 

常に小さな変化、刷新し続けてきた人かもしれません。

 

そういえば、

 

創業して400年以上続くとらやの羊かんは

 

ずっと同じ味というわけではなく

 

時代に合わせて微妙に変えてきたという話を思い出します。

 

 

人生で目のまえで起こること

 

それを通して我々は意識的であれ無意識的であれ、

 

学んでいます。脳が学習しています。

 

一生涯、それは続きます。

 

そして、その学習方法の学習をする人はあまり多くありませんが、

 

それをしているかどうかは大きな差を生みます。

 

それはすなわち

 

それはいかに自分を刷新し続けられるか?

 

その刷新するための知恵を持っているか?

 

ということでもあります。

 

私にとってはそれがNLPや心理学などだったりします。

 

「今年はサイアクだったなあ」と思っている人も

 

自分を刷新し続けていると何年かして

 

「あのときのあれのおかげで」と、

 

思える日がくるかもしれません。

 

 

最後まで読んで下さり、

 

ありがとうございます。

 

よいお年を☆

 

それが私のプライドです!

お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

先日、10回目の結婚記念日でした。

「もう10年経つのかあ」

という思いと、

 

結婚前に安定していた仕事を辞め

先がどうなるかわからない状況でも一緒になってくれて、

大病を患ったときは懸命にサポートしてくれて、

もちろん、しんどい時だけではなく

楽しいとき、嬉しいとき

喜びのときもたくさんあって

それら含め

10年間、そばにいてくれたこと自体が

本当、有難いです。

 

まだまだ未熟ですが、

これからまた10年、20年と

祝っていけるように

磨いていこうと思います。

 

話は変わりますが、

私はサントリーボスのCMが好きです。

 

わずか数十秒に

さまざまな人間模様が描かれていて

昭和の人情的な感じかもしれませんが、

好きです。

 

今、思い出したのは、

内野聖陽さんと竹原ピストルさんが出演していた「25年間編」

プライドオブボスという商品のCM

もう6、7年前のもので、今は見れないのですが

頭のなかに今でも残っています。

 

その内容は次のとおりです。

 

25年前、

まだ若い内野は政治家を目指して

一人で街頭演説。

必死で訴えるも、

聴衆は殆どいない状態。

「誰も聞いちゃいないか、、、」と

落ち込む内野の前に

真剣に話を聞いていた

若者(竹原)が近づいてきて

「演説、感動しました。オレ、手伝わせてください」と、

声をかけます。

それが二人の出会い。

 

そこから、彼のサポートを得て、

精力的に選挙活動をし、当選。

初めて議員になります。

 

その後、

竹原は内野の付き人になります。

内野が地引網のイベントに出て、一緒に網を引くシーン。

地域の人に寄り添う活動をしているのがうかがえます。

 

内野は、どんどん出世していきます。

ハクもついてきて白髪もまじってきた彼が

料亭から出てきて車に乗り込むシーンでは

「理想論だけでは回らんな」と悩む姿が。

その内野に竹原は

「先生は間違ってないと思います」

それに対して内野は

「お前になにがわかる」

と突き放します。

 

そんなこともありつつも、

二人の間には絆があり続け、

竹原は付き人を続け、

内野が閣僚の椅子に座っているシーンが出てきます。

 

そして出会ってから

25年が経ち、

テレビで「内野議員辞職」の速報が流れるシーンになり、

内野は議員人生に幕をおろすことになります。

 

議員室を去っていく場面で、内野が竹原に

 

「この25年間を後悔していないか?」

 

それに対して竹原は

 

「良いときも、悪いときも、あなたのそばにいました。」

 

内野は竹原の肩をポンとたたいて労います。

 

最後に竹原の言葉が響きます。

 

「それが私のプライドです!」

 

 

このCM、思い出すだけで私はちょっと胸が熱くなります。

 

そっか、それも

 

”プライド(誇り)”になるんだなあと。

 

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

 

欠乏感を減らすために

 

お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

独身の頃は、服や靴など買うのが好きでした。

お店に入ると店員さんがよってきて

「どうですか?」と声をかけてきます。

なかには、必死に勧めてくる店員さんもいて

それに対して「なんか必死だなあ」「なんかこわいなあ」と

感じてしまうときもありました。

 

そのとき、売る側には

「たのむ~ 買ってくれ~」という感じの

欠乏感、足りない、という感覚があったのかもしれません。

 

自分も自分のサービスを売るようになって、

わかったんですが、

欠乏感があると

相手から奪う感覚ができて、

なんだか、うまく売れる氣がしません。

相手も「なんか奪われそう」な感覚になります。

 

恋愛の場面でも、そういう事はあります。

相手を必死に追いかけるほど、

かえって避けられるときは、

「こっちを向いてよ~」「愛してよ~」という

渇望、欠乏感のエネルギーが出てしまっているかもしれません。

 

欠乏感、足りないという感覚を

減らすにはどうしたらよいか?

 

足りている。満ちているという感覚を

持てればよいのですが、

 

そのためには、

感謝のエネルギーが役立ちます。

 

「今、私が感謝できることは何だろうか?」

という質問を自分に問いかけてみるのもいいし、

 

何もなくても

「ありがとう」とつぶやくのもよいでしょう。

 

どんな小さなことでも構いません。

「ありがとう」と思えることをみつけます。

 

感謝をテクニックとして使う人もいます。

 

オリンピックなどで活躍する選手など

一流アスリートたちの、

活躍後のインタビューを聞いていると、

 

殆どの選手が、

親や、まわりのサポートしてくれた人たち、

応援してくれた人たちへの

感謝の言葉をのべています。

 

彼らは感謝のエネルギーを

うまく使えているのかもしれませんね。

 

感謝する代わりに

罪悪感のエネルギーを選んでしまう人もいます。

 

「すみません」「悪いなあ」

 

かくいう私も

何かしてもらったときとか、よく使ってました。

 

「すみません」は「ありがとう」に変えたほうが

 

効果的です。

 

最近、

私は不満を感じた時、

「今、感謝が足りないのかな?」と、

考えてみるようにしています。

 

最後まで読んで下さり、

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆