それは誰が言ったのか?
同じ言葉でも誰が言ったかによって言葉の影響力は変わります。
例えば会社などの組織では
係長がAのプランにしようと思うと言っていた。
部長がBのプランにすべきだと言っていた。
常務がCのプランのほうがいいんじゃないかと言っていた。
するとCのプランがいちばん良いという認識に流れていくこともよくあること。
主語(誰が)のサイズ感が大きいほど影響力も強くなります。
「威光暗示」という言葉があります。
権限のある人、有名人、世間から信用されている人、地位が高いとされている人
受けとる人によってもさまざまですが、
威光のある人の言葉はまるで真理であるかのように聞こやすくなり、
善くも悪くも影響力も高くなります。
そして、
「最善はDプランだ。」
これも真理であると感じやすくなります。
主語(誰が)が省略された文はあたかも真理であると感じさせる効果があります。
そして、それが自分を制限していることも少なくありません。
かつて、私は
「35歳を過ぎたら転職は無理だ。」
ということをあたかも真理であるかのように思っていました。
この文章は誰が言ったのかが明らかではありません。
NLPを学び始めて、その観念にも質問してみます。
「それって誰が言ったの?」
そう自分に問いかけてみると、
「誰って?誰だろう? 先生? 上司? 友人? 親?」
「え?自分?」
いろんな人が言っているのを聞いたり、読んだりしたことがあったかもしれませんが、
言っている回数でいったら圧倒的に「自分」だったと思います。
「ダメ」「無理」「ねばならない」
他者のことでも、自分のことでも、
なにか制限がかかっていているなと感じたとき、
主語(誰が)を取り戻すことで、可能性が広がるかもしれません。
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古畑任三郎が言っていました。
「たとえばですね、明日死ぬとしても、やりなおしちゃいけないって「誰が」決めたんですか?」
明日もよい一日を☆