お疲れ様です。
昔、海外へ行ったとき
自販機でジュースを買おうと思ってコインを入れたのですが
ジュースが出てきませんでした。
「しゃーないなぁ」
日本を出る前、そこに行ったことある人に
「あっちの自販機は出てくるときと出てこないときがあるからね」
と聞いていて、その状態が当たり前だと知っていたので、
さほど腹は立ちませんでした。
これが日本でだと、
「なんで出てこないんだよ!」
と感情がもっと動いたと思います。
「コインを入れたらジュースが出てくるだろう」
という”期待度”の差が、感情の差になっていたのでしょう。
ある有名な催眠療法家が言うには
「期待を超えるエネルギーはない」と。
そこまで言い切れるかどうかはさておき、
確かに”期待”というのは”非常に強い”エネルギーとなります。
ですので、期待をしすぎると、
それが外れたときに感情の動きもそれだけ大きくなります。
「これができたらあの人は褒めてくれるにちがいない」
「店員の接客はしっかりしているだろう」
「あの人は私のことが好きになってくれるにちがいない」
「あの人は優しそうだからきっとこっちの要求を断らないだろう」
「このお客さんはこの商品を買ってくれるだろう」
「親の言う通りに子供は動いてくれるだろう」
「子供のいう通りに親は動いてくれるだろう」
「家に帰ったら冷蔵庫に冷やしてあったプリン食べよう(誰も食べていないだろう)」
「蛇口をひねったら水が出てくるだろう」
これらは、それをするかどうかの主体が自分以外です。
すなわち、”期待”していることは、
こちらがコントロールできないということです。
でも期待が生み出すエネルギーは大きい。
私はときどき、師から教わった
「期待は裏切られる」
という考えを活用します。
人によっては後ろ向きにも聞こえるかもしれませんが
これをクライアントさんに話すと、
軽くなる人も結構います。
そもそも、
期待どおりにならないことのほうが多い
ということ、
期待に応えてもらえている状態が当たり前でないこと、
そう感じれている人は楽でしょう。
さらに、
それは有難いことだと感じることができるレベルにいる人は
真にゆたかな人なのだろうなと思います。
けして、期待が悪いというのではありません。
人間は期待をするものですし、しない人はいません。
時にはそれがプラスに働くこともあります。
ただ、
我々は完璧ではないので
つい期待をしすぎたり、
「そんなところに期待してもなあ」ということに
期待してしまうこともあります。
そんなときは先ず、
そんな自分も認めてあげる、許してあげる
それから
「期待は裏切られる」
期待の代わりに
「今(自分に)何ができるか?」
ということにシフトできると
自由になれるかもしれません。
明日もよい一日を☆