「向かう」と「避ける」

 

 

おつかれさまです。

 

先日、あるテレビ番組の企画で

 

矢沢永吉さんが若手ミュージシャン達からの質問に答える

 

というコーナーがあり、それを見ていました。

 

 

あるミュージシャンから

 

そこまで上に上に登っていくモチベーションはすごい

 

どうやってそれを持ち続けることができたのか?

 

といったことを聞かれて

 

 

『上に上にっていうのもあるけれど、もう一つの言い方として、

 

ボクは”安全なところ”にいきたかった』

 

 

「”安全なところ”に行きたい」ということは

 

「安全なところにいない」ということ。

 

その状況から抜け出したい。安全でない状態から出たい。

 

ということでもあります。

 

 

 

NLPにメタプログラムという概念があります。

 

人それぞれの様々な種類の無意識的な傾向があるというもの。

 

そのうちのひとつで、

 

モチベーション、動機付けに関するもののひとつ

 

「方向性」

 

方向性は大きく2つに分けることができるとされています。

 

【向かう(Toward)】

目的志向
ゴールや望むことをイメージし、意識する
夢が膨らみ、そこへ行こうとする
「それが得られるなら〇〇しよう」

 

【避ける(Away from)】

問題回避
望まない現実を避けようとする
危機感や恐れから行動を起こす
「そうならないように〇〇しよう」

 

誤解してほしくないのは血液型のように、

 

どちらかしか持っていないというわけではなく、

 

ある場面において、

 

どちらかの傾向が優位に出るということです。

 

「向かう」が優位に出る人もいれば、

 

「避ける」が優位に出る人もいますし、

 

それらが半々という人もいるでしょう。

 

 

 

矢沢さんは、続けて、

「安心できたと感じれたのはどういうときか」と聞かれ

 

それに対して

 

「若いころから目をつむってひたすら走って走り続けてきた。

 

走り続けていると、そのうち周りから声が聞こえてきた。

 

「ボス!」「もう十分」「大丈夫だよ」

「もう目指してたところにきたじゃない?」

 

でも、「本当かよ?」「いや、まだだろ」「騙されないぞ」

 

そうやって目をつむって、走り続けてきた。

 

そして、あるとき、気づくと静かになっていて

 

それらの声が聞こえなくなっていた。

 

そして、そっと目をあけてみたら、

 

その目指してたゴールは後ろのほうにあったんだ。」

 

 

「目をつむって」という表現

 

矢沢さん、実は「避ける」というエネルギーを

 

つかってそこまで来ていたのか?と、

 

ちょっと驚きました。

 

本人も自分のことを「怖がり」だと

 

それをさらっと言えるのにもカッコいいと思いました。

 

 

なんとなくですが、今までの世の中の価値観だと

 

「向かう」は「避ける」より、カッコいいとか、優れているとか、

 

というふうに見られがちだったかもしれませんが、

 

実際はそれらに優劣はありません。

 

人それぞれ傾向があり、

 

その傾向にあった行動や考えをすればよいだけです。

 

 

 

「向かう」「避ける」

 

どちらも価値がある。

 

不安もエネルギー

 

そのエネルギーも肯定し、

 

うまく活用していけたら、

 

改めてそう思う今日この頃です。

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

さくら

 

お疲れ様です。

 

先日、長瀬智也さん主演、クドカンさん脚本のドラマ

 

「俺の家の話」の最終回を観ました。

 

最後のほう、展開が凄くて、

 

数日たった今もまだ余韻が残っています。

 

長瀬さんは本日3月31日でTOKIOを離れ、事務所を離れ、

 

また表舞台を離れるとのことらしいですね。

 

ものごとは流れていきます。

 

ドラマのなかのプロレスラーの長州力さんのセリフ

 

「何回引退しても、何回もカムバックすりゃいい」

 

これがクドカンさんの長瀬さんに対する

 

送る言葉のように感じました。

 

 

3月から4月へと、新年度に変わるこの時期。

 

あちこちで桜の花が咲いているのを見かけます。

 

私が日本にいてよかったなと実感できることの一つです。

 

毎年、短い期間ではあるけれど、

 

一斉にあちこちで見られるのは

 

有難い。

 

 

この時期、多くの人が環境が変わったり、

 

人との出会いや別れなどがあったりして

 

いろんな感情を感じやすい時期でもあります。

 

そして、人それぞれですが、

 

桜といろんな体験、感情が結びついていきます。

 

それは歳を重ねるごとに積み重なっていきます。

 

 

桜の花を見る度、

 

あのときはああだったな、こういうこと感じていたなあ

 

というものが毎年少しづつ積み重なっていく。

 

頭のなかにアルバムのように。

 

 

自分もそれなりに年を重ね

 

昔の背伸びをしていた自分の姿などもいろいろと引き出しつつ、

 

そんな自分を少し恥ずかしくも、愛しく感じながら

 

また今年も、桜をみれること、

 

桜とともにいろんな体験をし

 

感情を感じれることを喜びます。

 

 

そしてまた、次の桜の咲く時期には

 

「あのときは、こんなこと感じてたな」と

 

もうひと重ねした自分で、

 

桜を見つつその積み重なりを感じれたら嬉しいなと、

 

そう思います。

 

 

そういえば、

 

これを書きつつ

 

「俺の家の話」に出てくる

 

介護ヘルパーでヒロイン役の

 

戸田恵梨香さんの役名が

 

「さくら」さん

 

だったことを思い出しました。

 

ここにもネタ(意味)が隠されていそうです。

 

 

新たな年度の始まり

 

皆様にとってよい流れとなりますように☆

 

 

6÷2(1+2)

その数式は10年ほど前

SNSの上での投稿をきっかけに大きな話題になりました。

 

6÷2(1+2) =

 

この数式の答えは?

 

 

 

1?

 

9?

 

 

 

この数式、正解が二つ?

 

計算機の種類によって答えが異なります。

 

ちなみに私のスマホに入っている関数電卓アプリでは 1

 

Googleで入力すると 9

 

「じつに面白い」ですね。

 

 

小学校で習った四則演算のルールだと

 

・式中に括弧があれば、最優先で計算する

・足し算、引き算より、掛け算、割り算が優先

・掛け算と割り算が同居する際は左側から計算する

 

なので、

 

6÷2(1+2) = 6÷2×3 = 3×3=9

 

となります。

 

 

しかし、中学校の数学では文字式、代数、係数などを学びます。

 

2(1+2) の頭の 2 を係数として捉え

 

(1+2)を x としてみると

 

6÷2(1+2) = 6÷2x = 3/x となり、

 

x に (1+2) を代入すると 3/3 = 1 となります。

 

 

この問いにSNS上で342万人が回答

 

1が正しいと答えた人 193万人

9が正しいと答えた人 149万人

 

多くの数学者たちもそこに参加し、

 

1派 VS 9派 となって大論争に発展。

 

自分の考えが正しいという主張同士がぶつかり合いました。

 

そしてこの状況を収めようと

 

スタンフォード大学で数学を研究していたタルウォーカー教授は

 

以下のように結論付けようとしました。

 

1917年以前なら 1 が正解

1918年以降なら 9 が正解

 

これは1917年以前の四則演算のルールには

 

「掛け算と割り算が同居する際は左側から計算する」

 

というルールがなかったからだそうです。

 

権威ある存在の仲裁で終わるかと思われましたが、

 

それでも「なんかスッキリしない」という人も少なくなかったようです。

 

そして、次は

 

「そもそもこの問題式が正しくない」と唱える台湾の学者グループが出てきました。

 

この式の 2(1+2) の部分が、

 

2×(1+2) なのか、頭の 2 が係数なのか、わからない、ややこしいと。

 

 

最新の関数電卓やアプリだと

 

6÷2(1+2)を入力すると自動的に

 

6÷(2(1+2)) = 1 と、式自体が変換されて計算されたり、

 

Googleでも

 

(6÷2)×(1+2) = 9 と、式が変換されて出てきます。

 

 

この論争は「この式(問題)自体が正しくない」ということにすることで一応収束しました。

 

 

この数式と、それに関わるエピソードを知り、

 

「これを日常とか、世の中とか、人生とかに対して無意識で起こる

問いについてはあてはめてみるとどうだろうか?」

 

という問いが自分のなかに出てきて、

 

そして、さらに

「その「問い」は「正/誤」だけで計れるのだろうか?」
「我々がわからないから、その問い自体が正しくないといえるだろうか?」
「どんな場面でも正/誤で判断することはできるか?」
「逆にどんな場面でも正/誤で判断したらいけいないのか?」
「誰にとっての正/誤か?」
「誰にとっての答えか?」
「ある場面では答えを出したほうがよいのか?出さないほうがよいのか?」
「ある時点では正/誤か?違う時点ではどうか?」
「答えが出るまでに、今すべきことは?やめるべきことは?」
「そもそも答えが出せるのか?」
「答えとは何か?」

などなど、

 

無限に出てきます。

 

私は学生時代、数学があまり得意でなかったのですが、

 

この

 

6÷2(1+2) という数式、

 

この問いは数学的には正しくない?のかもしれませんが

 

この世の中で生きていくこと、ものごとの捉え方、受け取り方

 

それと心の状態との関りというの面では

 

大切な気づきを導き出そうとしてくれる

 

そんな価値ある問いではなかと

 

そんな魅力を感じます。

 

 

明日もよい一日を☆