その記憶は上書きできる

 

おつかれさまです。

 

いつもありがとうございます。

 

人の記憶って結構いいかげん

 

数年前のことですが、改めてそれを実感する出来事がありました。

 

早朝、仕事に行くために駅に向かう途中、交差点で信号待ちをしていると

 

右方向から若い男性がスポーツタイプの自転車で走ってきて

 

そこを並ぶように1台の自動車が走ってきて

 

いきなりその自動車が左折しようとして自転車と衝突。

 

自転車は横転し乗っていた男性は投げ出されました。

 

その男性は意識はあるものの、頭を押さえて少しパニック状態。

 

自動車からは70代くらいの男性がゆっくりと降りてきました。

 

その人は携帯電話を持っていない様子だったので

 

私が救急と警察に連絡。

 

そのときに

 

「たしか、、、このおじいさん、左折のウインカー出してなかったよな」

 

と衝突の場面を振り返りながら電話をかけていました。

 

すぐに救急車と警察が到着。

 

警察官がいる前で

 

私がそのおじいさんに「ウインカー出してなかったですよね?」と聞くと

 

「出した」と反論

 

「え?ほんとに?」

 

「出した。」

 

そう強く言われると

 

「ん?え?そうか?」

 

警察の人が自転車の男性が落ち着いたら聞きますという感じで

 

私も急いでいたので

 

警察と救急の人たちにまかせ、そこを立ち去りました。

 

その後、何度も頭の中で繰り返し

 

「ほんとにウインカー点滅してたか?」と、

 

自問していた私は

 

「自動車」「ウインカー」「点滅」というキーワードを繰り返すうち

 

私の脳内では、

 

自動車のウインカーが点滅している映像を

 

何度も再生してしまっていたようです。

 

そして、時間が経つにつれ、

 

「もしかしたら、ウインカー点滅していたかもしれない」

 

そんな感覚になってくる自分を体験しました。

 

「ああ、これ記憶が上書きされていっている」と気づいたと同時に

 

ちょっと怖いなとも思いました。

 

こうやって、やってないことも

 

閉ざされた空間で

 

「お前がやったんだろう」と繰り返されるうちに

 

「やったような気がします」となっていくこともあるのだろうなと。

 

その自動車はおそらく左折のウインカーを出していないかったと思います。

 

しかし、何度も頭の中で

 

ウインカーが点滅している車の映像を

 

頭の中で再生させているので

 

イメージが上書きされていき

 

「ウインカー出していたかも」という感覚が生まれてきたように思います。

 

人の記憶は無意識に上書きされていきます。

 

そして、

 

意識的に上書きするこもとできます。

 

ある過去の体験を思い出すとき、

 

人は脳内の記憶のライブラリの中から

 

その体験のイメージを取り出して再生します。

 

それは映像、音、感蝕などで構成されています。

 

さらに細かい構成要素(映像なら明るさ、大きさ、色、動きの有無など)

 

に分けることもできます。

 

NLPではこれらの構成要素をサブモダリティと呼びます。

 

再生するときに、そのサブモダリティをいじる(変化させる)と

 

その記憶のイメージは取り出してきたときとは

 

少し変わった状態で上書き保存されます。

 

繰り返すと、少しづつ変化していき、

 

最終的にはぜんぜん違うイメージになってしまうこともあります。

 

ネガティブな上書きの例でいくと

 

苦手な人の記憶

 

何度もその人のネガティブなイメージを頭のなかで

 

再生していると

 

ネガティブな面が強化されていき

 

実際よりも何割かネガティブさが盛られて、

 

記憶していたりします。

 

そのイメージから受ける印象が強くなると

 

実際には目の前にはいなくても

 

まるで近くにいるかのように反応してしまうこともあります。

 

その逆にポジティブが盛られていることもあります。

 

好きな人に会っていないときに

 

いろいろ妄想するうちに

 

その人のイメージがどんどん美化されていくようなこともあります。

 

「会えない時間が愛育てるのさ~♪」という歌詞の歌もありましたね。

 

NLPを使ったカウンセリングでは

 

記憶は上書き可能という特性を活かしたアプローチをする場合もあります。

 

クライアントが過去のネガティブ体験を

 

頭の中でライブラリから取り出し、

 

再生する際に、そのイメージの構成要素を良い方向に少しいじります。

 

ネガティブなイメージは

 

より小さく、ぼんやり、モノクロ、遠くに変えてみるなどして、

 

できるだけクライアントが楽になるようなものに変え、

 

再保存します。

 

これを何回か繰り返すと

 

その体験に対する感覚が変わっていきます。

 

過去の記憶。それって結構いいかげんだったりします。

 

ネガティブに感じている過去の体験があるとしたら、

 

それに対して

 

「過去は世界中探しても、もうどこにもない。」

 

そう考えることも大切です。

 

私たちは”過去”に反応しているのではなく

 

自分の頭の中の”過去の記憶”に反応しています。

 

そして記憶は上書きできます。

 

もし、自分に望ましくない影響を与えている過去の体験の記憶があるなら

 

それも「上書きできる。」と、

 

知っておくだけでもよいでしょう。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

 

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あきらめる

 

こんばんは。

 

いつもありがとうございます。

 

今日は「諦める(あきらめる)」という言葉についてのお話

 

この言葉、一般的にはネガティブな意味で捉えられることが殆どですが、

 

私はこれをネガティブな意味合いだけでなく、

 

ポジティブな意味合いでも使うことがあります。

 

「諦める」は

 

「明らかに認める」

 

とも捉えられます。

 

 

入院中の氣づきをメルマガなどでシェアしていると

 

「すごいですね」「メンタルが強いですね」など、言って頂くことがあります。

 

幸せなことですし、有難いことです。

 

ただ、メルマガには書いてるのも私の一部でありまして

 

常にポジティブな状態だったわけではありません。

 

不安になったり、

 

愚痴をこぼしたり、

 

人にあたってしまうこともありました。

 

そういうときは

 

「ダメだなあ、オレ」

「今までさんざん学んできたのに」

「人には偉そうに言ってるくせに」など

 

自分を否定してしまいがちに。

 

それは「強い自分でありたい」とか「賢人でありたい」とか

 

そうでないと許されないというか、

 

うまく言葉に表現しにくいのですが、

 

何か執着心のようなもの。

 

そして、そう思ったとき、感じたとき、

 

大切なのはそこから

 

「ああ、これが今の自分だ」

「今の俺はそのレベルにいるんだな。」

 

できるだけ、その自分を観て、

 

その”現実を見る””弱さを認める”ということを意識する。

 

すると、

 

少しづつその状況に対するネガティブな感情は収まっていく感じがありました。

 

そして

 

「フッ、まだまだやなあ」

「今まさに学んでいるのだな」

「もっと成長した自分になれたら、嬉しいな」

 

とポジティブな方向に変化していきます。

 

 

「諦める」の「諦」という字を漢字辞典で引くと

 

「あきらか」「つまびらか」「まこと」とか、

 

ポジティブな意味が出てきます。

 

「諦観(ていかん・たいかん)」

「諦念(ていねん・たいかん)」

 

という言葉がありますが、

 

これは仏教用語で「諦」は真理、道理のこと

 

「諦観」は真理、道理といった本質を見極めること、事態を察ること

 

「諦念」はその心のことです。

 

もともと「諦める」は悟ってそれを認めることだったのが

 

無理なこと、道理の通らないことを断念する

 

その状態に使う機会が多いことから

 

今日では断念する部分のみの意味で捉えられることが多くなりました。

 

 

「諦める」=「明らかに認める」

 

という意味で用いたとき

 

執着していた何かを

 

それを手放して、

 

心が自由になる感じがします。

 

 

カウンセリングや悩み相談でも

 

これは諦めた(明らかに認めた)ほうがいいなと

 

思うケースもあります。

 

たとえば、好きな人にフラれたとき

 

「いやだ」「こんなに好きなのに」「お願いだからこっち向いてほしい」など

 

最初はなかなかその感情を抑えるのは難しく感じるかもしれません。

 

それがいつまでたっても諦めきれず、

 

感情がエスカレートしていくと、ストーカー的になってしまうなど

 

余計にうまくいかなくなるケースもあります。

 

しかし、ある程度して

 

「そうか、、、自分はフラれたんだな」と

 

心から認めることができたら

 

そこへの執着を手放せ、そこから一歩先に踏み出せます。

 

 

他者に対して使うときは、注意が必要です。

 

その相手の”脳内辞書”のなかに「あきらめる」について

 

ネガティブな意味しか載っていないなら

 

そのように受け取られてしまうので。

 

 

ひとつの言葉に真逆に近い意味がのっかっていることは

 

言葉のややこしいところでありますが、

 

おもしろいところでもあります。

 

どちらの意味で使うにせよ

 

他者に対しても、自分に対しても

 

望ましい影響を与えるような

 

言葉の使い方ができるといいですね。

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

 

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傍らから自分を観る

お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

入院していたとき

ドクターや看護師さんだけでなく、薬剤師さんも、しょっちゅう様子を見に来てくれていました。

その薬剤師の先生から

「渡邉さんはご自分をうまく観察していますね。僕らも「なるほど」と思うことが多いです。」

と褒めてもらい、嬉しかったです。

 

長期入院のなか、ずっとベッドの上で過ごしていると

身体的には筋力がだいぶ落ちましたが、

精神的にはいくつか鍛えられた面もあると思います。

 

そのひとつが

傍観的視点(ディソシエイト)で自分を観るということです。

(NLPでは主観的視点で見ることをアソシエイト、傍観的視点で見ることをディソシエイトと呼びます。)

 

入院してから常に自分をもうひとりの自分が観察しているような感覚がありました。

私の場合、幸いなことに

白血病にかかる前にNLPや心理スキルのトレーニングをしてあったので

最初から無意識的に傍観的視点で観ること(ディソシエイト)ができたのかなと思います。

また、そうしないとやってられないというのも無意識は知っていたのかもしれません。

 

例えば

「「恐いなあ」「不安だなあ」と感じている自分がいる。大病だし、入院するのも初めてだから当たり前だ。」
「今「あーイライラする」と感じている自分がいるな。10段階で評価するなら7か8くらいか。夜か明日には2か3くらいになっているといいな。」
「今、自分はネガティブなものに焦点をあてているな。それの代わりに自分が焦点を当てたいのは何だろう?」
「今、自分は「ねばならない」という気持ちが強めかもな。「に越したことはない」や「まあいいか」を意識してみよう」
「(枕についた髪の毛をみて)いよいよ毛が抜けてきたな。やっぱり「嫌だな」と感じている自分がいる。
どうせ全部抜けるなら、先に丸刈りにしてもらっておいたほうがこの感覚を減らせるかもな」

 

など、自分をなるべく客観的に観察し、そこから分析したり考えていたように思います。

 

主観的視点(アソシエイト)で体験するのと、

傍観的視点(ディソシエイト)で体験するのでは

感じ方はかなり違います。

 

ジェットコースターに乗って、まさにそれを体験しているときの感覚と

ジェットコースターに乗っている自分を撮影してそれを鑑賞しているときの感覚はかなり違います。

 

そして

主観的視点(アソシエイト)で体験しているときに

冷静に考えることは難しい。

冷静にものごとに対峙できるのは

傍観的視点(ディソシエイト)で観ているときです。

 

不満がわいたり、イライラしているときも

「今、イラついている自分がいる。そして、数日前の自分はただただしんどくて、何の氣力もわいてこなかったよな。」

と自分の状態の変遷に意識的だと

「そうか、数日前に比べて今はイラつく余裕があるということ、そのエネルギーがあるということか」

とポジティブな再解釈もしやすくなります。

これは時間軸を横から、傍らから観た感じです。

 

昔、カウンセリングで、「それの良い点は何か?」「それは他にどんな意味があるか?」

といったふうに、ものごとに対する認知の枠組を変えるリフレーミングという手法を

あるクライアントさんにレクチャーしてみたところ

「考えるのがしんどい」と言われました。

 

その方はその時はまだ、どっぷりと鬱に入り込んだ状態だったので

考えることは極めて難しかったようです。

 

その方がリフレーミングできるようになったのは少し回復してきてからでした。

 

傍観的に観ることが難しいとき、渦中にいるとき、

あれこれ考えても、ろくな答えが出てこない。

そういうときは、その渦というか、ネガティブな箱というか、

そこから自然と抜け出るのを待つというのもひとつです。

時間が経つだけである程度、そこから抜け出せることも多い。

 

人間の脳は時間が経つと出来事との距離を感じやすくなります。

傍観的に観るにはある程度の距離があったほうが観やすい。

 

ネガティブな感情が強く出ているときなどは

「今、自分は渦中にいる」と、なるべく早めに気づき

その出来事に対して、

評価や下手な意味づけはせず、

考えるのは後回しにしてみてもよいでしょう。

 

また、物理的に場所を変えてみるのも手です。

「さっきあの場所にいた自分は…」といった感じで。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

明日もよい1日を☆