木村選手のリーダーシップ

先日、女子バレー全日本がリオ五輪世界最終予選で

リオ五輪行きの切符を手にしました。

それを決めた対イタリア戦、私も観ていました。

主将の木村沙織選手。この日チーム最多の31得点。

彼女が全日本チームで主将に任命されたと知ったとき

「え?なんかあまり主将というイメージがわかない、、、」

というのが私の素直な感想でした。

当時、真鍋監督から主将を打診されたとき

本人も「無理です。私には絶対に務まりません」と

その場で一度断ります。

それまで、彼女は竹下選手、荒木選手といったチームを

うまくまとめる先輩の姿をみてきて、

「自分にあんなにうまくまとめることはできないし、

自分は人の前に出るタイプではない。」

そう思っていたそうです。

それでも、心のどこかでやってみたいと思っていたようで

主将になることを引き受けます。

主将になって1年目は周囲に気を配りすぎるあまり、

自分のプレーも思い通りにできず、

いら立ちを募らせながらコートに立つこともできなかったそうです、、、

そんな彼女は今回、こう言っていました。

「プレーで頑張る。

私は気の利いたことは言えない。

苦しい時に決めてチームを前向きにする。」

その言葉どおり一番大切な場面で31得点で大活躍。

チームメイトの迫田選手も

「沙織さんは絶対的な存在です。コートにいてもらわないと困る」と。

真鍋監督は過去のインタビューで

「私に「どんなキャプテンになればいいですか」と木村が質問してきました。

「それは僕に聞くことじゃないだろう。自分で考え、

自分が思うキャプテンになればいい」と答えました。」

こう話していました。

彼は「理想のキャプテン像に固執する必要は無い」という考え方の持ち主。

私は今回の試合で

やり方より、在り方。

リーダーシップとは影響力。

影響力とは在り方。

人は自分らしくあるとき、

自然と影響力を与えることができる。

それを見せてもらえたような気がします。

明日もよい一日を☆

自分を欺くと、、、

以前、電車のなかでみた光景。

ある駅からおばあさんが乗ってきました。

電車の中は満席で立っている人も多く。

そのおばあさんは10代後半くらいの男性が座っている前に立ちました。

その彼は席にすわったまま。

下を向いてたしか参考書のような本かなにかをみていました。

しばらくそのまま。

私は「ああ、彼は譲りそうにないな」と思っていました。

しかし、5分か、10分くらいして

その彼が、

ゆっくりと立ち上がって

おばあさんに

「どうぞ」

おばあさんも

その好意を受取って

「ありがとうございます」

そう言って座りました。

譲った彼の表情からは

喜びというか、嬉しさがにじみでていました。

私は「ああ、本当は譲りたかったのか」と

彼の席を譲るまでの心の中の葛藤を想像しました。

自分にも経験があります。

「オレだって昨日仕事でろくに寝てないから」とか

言い訳みたいな理由をブツブツ言っていたり、

それをいくらやってもスッキリしない感じ。

そこを一歩踏み出すことができたとき

世界が広くなり、開放されるような感じがします。

「自己欺瞞」「自欺」という言葉。

これは、自分で自分の心を欺く(あざむく)こと。

自分の良心や本心に反しているのを知りながら、

それを自分に対して無理に正当化することです。

その人が気づくかどうかはわかりませんが

人はウソをつくと心のどこかで罪悪感を感じます。

ということは

自分の心にウソをついても、

心のどこかで罪悪感を感じてしまいます。

そして、

本当は好きなものや人を

嫌いと偽っても

それは感じてしまいます。

明日もよい一日を☆

受け取り手が決める

演出家の蜷川幸雄さんがお亡くなりになりました。

20年くらい前のテレビのドキュメンタリー番組で
俳優たちを叱る場面が印象的で
怒って灰皿を投げることが名物。
こわい演出家というイメージがそのころからありました。
今ならモラハラと言われてもおかしくないくらい。

「あんな怒る人嫌だな~」

と思っていたのですが、
今回、亡くなられて、通夜、葬儀に集まった俳優陣のすごいこと。
そして、その方々が口をそろえて

「蜷川さんのおかげで」

実際に接した人たちにしかわからない感覚なのでしょう。
それが受取った人たちの反応。
俳優さんたちの言葉から本当に愛された人だったということが伝わってきます。

女優の高木美保さんがこんなエピソードを紹介。

高木さんの前で名物、灰皿投げを披露した蜷川さん、
運悪くアルミの灰皿が、高木さんに本当に当たってしまった。
新人だった高木さんは悔しかったけど、何にも言わなかったら、
後から蜷川さんがきて

「ごめん。本当に当てちゃって」と

謝られたそうです。

それに対し高木さんは

「厳しさと、その裏の甘いぐらいの優しさを、
凄く使い分けて人を育てる方だったんだなって思った」

と語っていました。

娘の蜷川実花さんは
「家ではモノをなげるなど一度もなかった」
と語っています。

ちゃんと場面や相手を考えてしていたのでしょうか?
たまたま、演劇の世界でそのやり方がはまったのでしょうか?

ただ、いろんな覚悟を持って演出という仕事をし、
俳優を育てていたのだろうなあと想像しました。

晩年には
「しかり過ぎるとお互いの関係を修復するのに一カ月では難しい。
だからしからずに、気長に歩き出すのを待つことにした。
その方が仕事が早い。」とも語っていたようです。

そういえば、会社員時代に
よく叱るけど、部下たちから信頼されている上長がいました。

で、それの真似?をして同じような言動をとって嫌われている上長もいました。

その違いは表には見えないところにあったのだったのだろうなと
今、振りかえって思います。

そして、今、私が同じ「やり方」でやったとしても、
きっとうまくいかないんだろうなあ、
ということもわかります。

コミュニケーションの意味は受取る反応にあります。

明日もよい一日を☆