まだ抱いておったのか

昔あるところに高名な禅僧がおりました。
彼が若いころ、友人の僧侶と二人で旅をしていました。

田舎の道を歩いていくと、
目の前を川が横切っています。
橋はかかっていません。

川幅も広くなく、深さもそれほどではなかったので、
川につかって歩いて渡るしかないと思っていたところ、
近くで若い女性が川を渡ることができず、
困っていることに気づきます。

「わたしの肩につかまって」

その僧侶は女性を抱きかかえ、川を渡りました。

女性は感謝しましたが、
その僧侶はそのことに特に気にもかけず
さっさと友人の僧侶とその先を歩いていきました。

しばらく歩いていくと、
不機嫌そうにしていた友人の僧侶が言います。

「お前はけしからん、僧侶の身でありながら若い女性を抱くとは!」

それに対し、

「ん、なに、若い女性?どこにおる?」

「なにをとぼけている、さっき川で女性を抱きかかえて渡したではないか!」

「はっはっはっ、あの女性のことか、私はさっき、女性を川を渡して、おろした。

おまえは、あれからずっと、まだ、あの女性を抱いておったのか。」

...

というお話。

わたしたちは、
ずっと持ち続けなくてもよいものまで
まるで大切なものかのように
抱え続けてしまうことがあります。

明日がよい日でありますように☆

今日は怒らない~♪

もうすぐ解散するSMAP。

彼らの曲「SHAKE」を昔よくカラオケで歌ってたなあと。

歌詞の中で特に印象的だったのが

「ガムを踏んずけても~、今日は怒らない~、イライラしない~♪」

という部分。

当時「ああ、そうだよあ」と共感していたのを思い出します。

人の反応は、そのときどきで変わります。

カウンセリングしているといろんな方に出会います。

たとえば、自分はやさしくできないと思い込んでいる人。

「私、やさしくできないんです」

これをもう少し正確に表現してみると、

「私、(今、)やさしくできない(状態にある)んです」

ということです。

長い間、その状態にあると、

その状態が自分だと感じてしまいがちですが、

違います。

その能力が無いわけではなく

その能力が発揮できない”状態”があるだけ。

そして、”状態”は変化します。

やさしくできないと言っている時点で、

やさしくした感覚を知っているということ。

本当に無いならその言葉すら出てこないでしょう。

NLPには次のような考え方があります。

”人が変化を起こすための必用なリソース(資源、資質とか)は既にその人のなかにある”

リソースのない人はいません。

リソースのない状態があるだけです。

ああなりたい、こうなりたい、そう思ったら、

そのための種は自分のなかにあると知ることは

勇気をあたえてくれます。

明日もよい一日を☆

人はそのときの最善の選択をしている

「あのときこうすればよかった」と、
後悔をすることは誰でも一度はあるかと。

”人は、そのときの「最善の選択」をする。”

NLPを学び始めたころ、この考えを知りました。
聞いた当初は意味がよくわからなかったのですが、
この考えのおかげで過去を否定することが殆どなくなりました。

たとえば23歳で就職活動をし、
A社とB社から内定をもらっていて、
A社を選択したとします。

35歳になって、仕事に不満を感じ、
「あのときB社にすればよかった。」
と過去の選択を後悔したとします。

もし、仮にタイムスリップができたとして、
23歳のときに戻る。

すると見た目だけでなく、意識も考えも23歳にもどります。
意識も考えも23歳の自分はやっぱりA社を選択する。

「あのときこうすれば」と考えているのは
そのときより12年分多くの体験をした
35歳の自分であり、23歳の自分ではない。

つまり、そのときは、その選択しかしようがなかったということです。

”人は、そのときの「最善の選択」をする。”

そして、それは、過去のことだけでなく、未来も。

私の好きな佐野元春さんのヒット曲、「約束の橋」
これ聴くとそのことを思い出させてくれます。

「いままでの君は間違いじゃない♪...これからの君も間違いじゃない♪」

明日もよい一日を☆