いろんな見かた

水が半分まで入っているコップがあるとします。

「コップに水が”半分しか”入っていない」

「コップに水が”半分も”入っている」

後者のほうが、よいとされることが多いかもしれませんが、

そのときの状況によって、どちらも大切です。

また、その’どちらか’の見方だけでなく、

「コップに水が”半分”入っている」

という見方も。

さらに

コップに水が1/2入っている
コップに水が○○ml入っている
コップの空きが半分もある
などなど、

いろんな見方があります。

いろんな枠(フレーム)で見る。

”自在性”を持ち、それを選べるようでありたいと思う今日このごろです。

明日もよい一日を☆

時は金ナリィ

先日、仕事で電車に乗って移動していたときのこと、

目的地に向かう途中の駅で、
各駅停車の列車から、快速列車に乗り換えて、
(別に乗り換えなくても間に合うのだけども)
そして、目的地の駅に列車が到着するやいなや、
階段を駆け上がり、
改札では後ろに人が迫っているのを感じながら、
足早に通り抜けようとしたとき、
ICカードの残高不足でバタン!
「もうっ!」

しかし、ふと、

「オレは、なんで急いでるんだろう?」と。

そして、同時に、

「時は金なり(Time is money)」と言う言葉が浮かびました。

ラッシュ時の人々のスピードと、
それにつられて急いでいる自分

「もっと早く!」と何かに言われているような気がして。

”時は金なり”の意味を

「時間は金と同じくらい価値があり、大切だ。
だから、(無条件に)早くしなければならない。」

そんな解釈をしていたのかもなあと。

あらためて、考えるのは

「時間の正体とは何か?」

一応、時間は時計の針が進む距離で、測るものでもあります。

しかし、その長さの感じ方は人それぞれ。
何を体験しているかによっても変わります。

好きな人といっしょに話していると、
「あっ!」と言う間に時間は過ぎ、

たいくつな授業を受けているときは、
時計の針は止まっているかのように感じてしまう。

体験の仕方によって自分のなかの時間の長さは変わる。

体験とは、
五感で、何を見て、聞いて、どのように感じて、味わって、嗅ぐのか。
そして、どのように思考し、どのように行動するかです。

ひとつひとつの体験を、
価値あるものとする力。そう感じれる力。
そこに体験の価値、時間の価値を高める、豊かにするヒントがあるよに思います。

ガンで亡くなった小林麻央さんが生前このようなことを言っていました。

「私が死んだら「まだ若いのに、かわいそうだ」とか、
思われたくありません。
病気が私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。」
(原文を要約)

彼女とニュース番組でいっしょに仕事をしていた村尾キャスターが
彼女を追悼する番組でこんなことを言っていました。

「人は、何年を生きるか、自分では決められません。
しかし、いかに生きるか、これは決められます。」

自分の脳のなかに辞書があったとして、
そこで「時は金なり」を索引すると、
今までと違うイメージが浮かんできます。

それはまた、これからいかに自分の人生を豊かにするかに影響しそうです。

そして、

お金と時間の違い。

お金は増やしたり、蓄えたりすることができるけど、

時間はそれができない。

それを知っておくことも大切ではないでしょうか?

明日も豊かな時間を☆

豊かな体験をする

自宅でパソコンに向かって作業をすることがあります。
この文章を作っているときもそうです。

そのパソコンの数十センチ前には窓があり、
その先には黄緑色になってきた田んぼが見えています。
この時期は風が吹くと稲が揺れて波のようです。

その先には住宅地があり
そのさらに先には鈴鹿山脈が左右に広がります。
その上方には入道雲を見る機会も増えました。
窓を開けると風が田んぼ稲の匂いとともに入ってきます。

数日前からですが、
セミの鳴き声が聞こえてくるようになりました。
耳からも夏がきたなあと実感します。

あるテレビ番組で、
尼神インターという女性のお笑いコンビが出ていました。
そのうちの一人、渚さんが
好きな男性のタイプを聞かれ、こう答えていました。

「ジョニーデップです。
でも、ジョニーデップって本当に居るのかって思うんですよ。
会ったことがないので。
あと、私、海外にも行ったことがないので、
本当に海外ってあるのかなって思ってしまうんですよ。」

彼女がジョニーデップに会ったら
「うわ!ほんまにおった!うごいとる!しゃべっとる!かっこいい!」
って反応するのかなあと想像してしまいます。
とても素直で感性の鋭い人なのかなあと、感じました。

私たちは経験したことのないことを
周りのメディアからの情報をもとに
自分の内側で想像して(つまりバーチャルで体験して)
あたかも実際に体験したかのように、それについて語っています。

「それはもう知っている」

という感覚は
私たちが五感で豊かな体験をすることに対して、
ときに制限になってしまうことがあります。

ときどき、パソコンで一日仕事をしたりしていると
心身が疲れるときがあります。
そのときはちょっと外に出て、
ただきょろきょろあたりをみながら散歩することもあります。
するといろんな気づきが起こります。
忙しくてでれないときでも、
窓の開けて、外の世界を五感で体験するようにしようと思う今日このごろです。

「地図は領土ではない」 by NLP

よい一日を☆