黒い雲と白い雲

お疲れ様です。

最近、雨や曇りなど梅雨らしい天気が続いています。

以前、雨の中、外の景色を眺めていたら、ふと疑問が浮かびました。

「雨の日の雲はなんで黒いのかな?」

すぐにネットで調べてみました。
小学生向けのサイトで(笑) 小学校で習いましたっけ...?

なぜ、白い雲と黒い雲があるのか?

そもそも雲には色がない。
晴れた日に見る雲は白く見えるのは、
雲の粒が太陽の光をあちこちに反射しているから、白く見える。

じゃあ、雨の日や雨が降りそうな日の雲が黒ずんで見えるのは?

それは「雲の粒の密度が濃い」ということです。

密度が濃いので、太陽の光が届かず、
雲の下は影が出来やすくなります。
私たちは雲の下にいるので、黒く見えます。

ちなみに遠く離れたところの雷雲を横からみると、
太陽の光をまともに受けているので、
輝くくらい白く見えます。

光の反射の仕方の違いだということです。

もちろん、

雲の上はいつも晴れています。

日常のいろんなもの事に対して

「これを違う角度から見てみると、どのように見えているのだろうか?」

その視点の切り替えは
ものごとに対する心の感じ方を変えるのに役立ちます。

以前、梅雨で雨が続いていたときに、
ある友人がこんなことを言っていました。

「来たる夏のために、自然が準備をしているようです」と。

よい一日を☆

小林麻央さんのステート

小林麻央さんが亡くなりましたね。

もちろん、会ったこともありませんし、
とくにファンと言うわけではなかったのですが、
訃報を聞いたとき、かなりショックでした。

その後、海老蔵さんの会見を見て、
やはり泣いてしましました。
いろんなことを感じたし、思いましたが、

麻央さんはなんというか、

徳の高い人

たましいのレベルが高い方だったんだろうなあと感じました。

会見のなかで海老蔵さんが言ってた言葉のなかに

「自分を変えてくれた」と。

たしかに結婚してから海老蔵さんは変わっていったよなあと感じていました。

麻央さんは別に彼を変えようとかコントロールしようとかしてないし、
「こうしてくれ、ああしてくれ」「変わってくれ」とか、
言ったわけではないのでしょう。
彼が自然と変わりたいと感じれるようにさせる何かが
彼女にはあったのかもしれません。

それだけでも麻央さんの徳の高さが伝わってきます。

海老蔵さんの公演の演出をした経験のある宮本亜門さんが
その舞台稽古を見守る彼女を見たときのことを振り返って、

「まるで観音様のような温かい眼差しで、海老蔵さんや皆を見守っていました。
余りに優しい穏やかさに満ちて、それはそれは全てが美しい方でした。」と。

今回の件で、テレビやネットのニュースなどみていると、
彼女が本当に多くの人に温かい影響を与えてきたのだなと気づきます。

カウンセラー、セラピストとして、トレーナーとして、
もちろん、父として、夫として、ただの一人間としても、

資格、テクニック、知識、そこだけでなく、

それ以上に

その人のステート(状態)、在り方、生き方、たましい力、など、
いろんな呼び方があるかもしれませんが、

それがどれだけ他者に影響を与えるのか、

人に影響を与えようと、
手段ばかり気にするでのでもなく、
カタチあるもの無いもの、
いろんものを無理して身に着けて、
大きく見せるのではなく、

自分のことを、
ステート(状態)を成長させる、
清浄する、
たましい力を磨く、
徳を積む、

彼女の生きかたをみさせてもらって
それを改めて感じさせてもらえたような気がします。

麻央さんは最後の最後に
多くの人にそれぞれのカタチで影響を与え、
次のステージへと旅立っていきました。

「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように」

         小林麻央さんのブログの最後の記事より

困ったことは起こらない?

先日、テレビの情報番組を見ていたら、
京都大学の生協で売られている”素数ものさし”を紹介していました。

その名のとおり、そのものさしに表記されている目盛りは、
素数(1か、その数字でしか割れない数)のみ。
つまり 2、3、5、7、11、13、17(cm)しか記されていない。

不便です。

このものさしを使って10cmの線を描けと言われたら、
どのようにすればよいでしょうか?

カンで描く?

それはそれで、ナイスな答えかもしれませんが、、、

10は13から3を引いた数、
だから、ものさしの3の目盛りのところから13の目盛りまでの間
まで線を引けば、10cmの線を描くことができます。

、、、不便です。

しかし、「どのようにすればできるか?」という、考える力がつきます。
脳が鍛えられます。

このものさしは、不便益システム研究所というところが製作したものだそうです。
不便益とは、不便ということから得られる益のことだそうです。

不便さ、なかなか思い通りにならない、困った状況というのは、

脳や体の学習に役立つ。
ある能力の向上に役立つ。
成長を促してくれる、ということを改めて感じます。

自身の例をあげると、

私が住むのは4階立ての3階で、エレベーターはなく階段のみ。
大きな荷物を運ぶときなどには不便だなあと感じることもあります。
しかし、まだ小さなうちの子供が足の筋力を鍛えるのに、
けっこう役立っているということに気づけます。

私が前の会社に入社して間もないころ、会社から、
100km離れた顧客先に一人で常駐することになりました。
いろんなことが解らなくて、誰かに教えてもらいたくても、
近くに聞く相手がいない状態。
おかげで、自分で「どうやったらいいのか」を考えて動く力がつきました。

実家を離れて、始めて一人暮らしをしたとき、
食事、洗濯など家事をすること、バイトしてお金を稼ぐということ、
数百円でその日一日をやりくりすることなどを学び、
いろんな、ありがたさを感じることができました。

昔、斉藤一人さんが講演のなかで、
「困ったことは起こらない、困っているんじゃなくて学んでいるんだ」
と言っていたのを思い出します。

逆に「人は困らないと学ばない」とも。

なにかで困ったときは、
「今、そのことについて、学んでいるんだなあ」
そう思うことで、いろんな体験の意味も感じ方を変えることもできそうです。

いかに効率的にやるか、効率的であるか、
もちろん、それは脳にとって大事な戦略。

一方で、その”ものさし”から

いかに非効率的にやるか、非効率的であるか、
それも脳にとって、大事な戦略だよなあと、

そんなことを感じる今日このごろです。

明日もよい一日を☆