ルールを変えるためのルール

世間ではある小学校の高級ブランドの制服のことが話題になっていますね。
学校の制服といえば私は中学生のときにブレザーの制服しか着た事がなく、
高校も私服でした。

1年生のとき、それまではシャツはTシャツであれ、何であれ、
ズボンの中に入れるというのが当たり前の時代でした。

それがこの年の少し前くらいから、
都会から少しづつ、シャツをズボンの外に出すのが流行り始め、
売られている服も外に出すことが前提でデザインされたものが増えていきました。

私もシャツをズボンの外に出して登校して、
服装検査に引っかかったことがあります。
私だけでなく同じようにシャツを外に出して引っかかる生徒が後を絶たず。

あるとき、担任から生徒を集めて服装に関するルールについて
発表がありました。

「私にはよくわからんが、これも時代の流れというやつなら仕方ないのだろう、
生活指導部で協議した結果、今日からシャツを外に出して良しということになった。
ただし、あまりにだらしないならそれは指導するそうだ。」

そのとき、クラスは歓喜に沸きました。
今だにそのときの光景を覚えています。

 

”ルールを変えるためのルール”

これは、ルールを変えてよいというルールを含んでいます。

”ルールを変えてはならないとうルール”があると

その状態は維持されます。

皆、自分のなかにも何かしらのルールを持っています。

「他人には敬語で話す」
「時間は守る」
「寝る前に歯磨きをする」
「朝は7時に起きる」
「土日どちらかは休日出勤する」
「人前で泣いてはならない」
「仕事が忙しいから休日は寝る」
「人には頼らない」
「自分より他人を大事にしなければならない」
「電車に乗るときは何両目のどの席に座る」
「おやつは300円まで」
「おやつはカール」
「手帳は高橋」

役に立つものもあれば、
場面によってはあまり役に立たないものもあります

 

いつ、いかなるときもルールを絶対に変えてはならない
というルールがあると、
うまくいっていない状態にいるときも
その負のスパイラルをぐるぐるとループするかもしれません。

私の場合、会社員時代、先輩よりも後輩のほうが多くなってきたとき、
「自分よりも後輩たちが先に朝の挨拶すべき」
というルールを無意識でもっていたようで、
向こうから挨拶しないと機嫌が悪くなっていたことがありました。

NLPを学び始めたころくらいでしょうか
「自分から後輩たちに先に挨拶をしてもよい」に変えてみたら
周りとの関係も善くなり、
負のループから抜け出せたのを覚えています。

 

ルールは大切。
守るべきルールは必要。

そして、
「そのルールはこの場面でも正しいだろうか」と
考えることも大切です。

まずは自分のルールを変えるためのルールが自分の中にもあるか
チェックしてみてもいいかもしれませんね。

明日もよい一日を☆

もう一歩追求する余裕

先日、EテレのSWICHTというプロフェッショナル同士が対談する番組で、
マツコデラックスさんとつんく♂さんの対談をやっていました。
つんくさんは喉頭がんのため声帯を摘出してしゃべれないのでパソコンで筆談。

つんくさんは一番ピークで年間100曲も作っていたそうです。
そのときは、余裕がほとんどなく、
休みの日はなにもする気力がなかった。
好きな音楽を聴くということもしていなかった。
仲間からカラオケ誘われても断っていた。
「あれ、歌が好きでこの仕事したんじゃなかったっけ?」と。

病を経験後、ゆとりのある生活を送っていて、
久しぶりに他人の作った曲を聴けるようになったとのこと。

それまでも彼のまわりにはいろんな曲がそこらじゅうに流れていた。
音としては聞こえていたけど、
曲、作品としては聴けてなかったのかもしれません。

そんな体験を話すなかで特に印象に残ったつんくさんの言葉

「少々の声枯れは当たり前って思っていた。
もう一歩(病状を)追求するという余裕がなかった」

自らの体験から出たこの言葉は重く感じました。

「もう一歩追求する余裕」

自分の状態に「あれ?」と感じたときにもう一歩追求する余裕。
これは本当に大切だと思いました。

これは身体の状態だけでなく、心の状態も。
自分の身体や感情が発してるメッセージ。
それを無視するのでなく、
少し立ち止まって、それを見て、聴いて、感じてあげる余裕。
それを持っていたいものです。

そういえば今日は節分ですね。
鬼はそと~♪福はうち~♪
無病息災と、そして、たくさんの福が入ってくることを祈ります☆

よい一日を☆