どの感情で動いていますか?

元システムエンジニアだから
大学は理系かと思われることもよくありますが、
私は文系です。

子供のころから数字に苦手意識があって、
算数、数学があまり成績はよくなかったと記憶しています。

それらがあまり好きではないなあと感じながらも。
「テストの点が悪くて叱られるの嫌だな」
「自分だけ高校行けないのはいやだな」
「大学も行かなきゃな、きっと親もそれを望んでいるだろうな」
危機感と、心のどこかで親の期待に応えようとしてか、
それらの感情のエネルギーを使って高校までは頑張って数学を勉強しました。
大学受験のときは迷わず「え!?数学やらなくていいの!」と
迷わず文系を選択しました。

学校の科目も、それが好きか嫌いかで、
やる気が上がったり、下がったりします。

それに限らず、
感情の強さとモチベーションは密接に関係しています。

その感情をあえて、自分に対するものと他者に対するもの、
さらにプラスとマイナスのものに分けるとしたなら
以下のように分類することもできます。

 

【自分に対してプラスの感情(喜び、快楽、欲求など)】

「嬉しい!」「楽しい!」「これが欲しい!」「知りたい!」など。
ただし、これは手に入ったらモチベーションが下がります。
楽しいこともいずれ飽きがきてしまいます。
例えば子供に「お小遣いをあげるから風呂そうじをして」と言うとはりきってそれをします。
先に小遣いをもらったてしまうと、やる気が半減するかもしれません。

 

【自分に対してマイナスの感情(不安、焦りなど)】

「このままではまずい」「ああなったらどうしよう」「失敗しないように」など。
この場合はその危機を感じなくなったらモチベーションが下がります。
また危機感をずっと感じていると疲れます。
例えば、「スピーチの練習しなかったら、本番で恥をかく。それは嫌だ。
だから練習をする。」という感じです。
【他者に対してプラスの感情(愛情、感謝など)】

「あの人のためなら」「あの人の期待に応えたい」「○○な人に貢献したい」など。
建設的であり、長期的に作用します。
ただし、相手のあり方が適切でない場合は本人にとって建設的でないこともあります。
例としては子供の将来のために親が頑張って働く。親のために勉強を頑張る。
お客さまのために良いサービスを提供するなど。
建設的でないものの例は、たちの悪い男性(女性)に貢いでしまうケースなどです。
【他者に対してマイナスの感情(不満、怒りなど)】

「あの人のせいで」「あいつを見返してやる」など。
これは破壊的行動につながることもあります。
個人でなく社会や組織に向けることで比較的建設的に処理できることもあります。
何年か前にヒットしたある漫画のあとがきで作者が、
「この作品書かせたのは社会に対する”怒り”だ」
という旨のことが書かれていたのが印象的でした。

 

いろんな感情が、やる気を出す、モチベーションをあげるのに役に立ちます。
そう考えるとプラス、マイナスと分けるのも矛盾してきますが、、、

そのとき、その場面で
どの感情を
どのような行動につなげていくかは
選ぶこともできます。
感情というエネルギーを効果的に使いたいものです。

 

明日もよい一日を☆

魅力と可能性

 

8月もあと少しになってきました。

小学生、中学生は夏休みも終わりに近づき、
あわてて宿題をしている子もいるでしょう。

 

私も夏休みに入ったら、お盆までに全部片付けてしまおうと、
意気込んでいたのを憶えています。

しかし、
好きなものは早めに終わるのですが、
苦手なものはなかなか手をつける気にならず、
この時期にあわててやっていたのを何となく憶えています。

 

最初、それをやろうと思ったけど、、、
それをする気になかなかなれなかった。

つまり、たてた目標に対するモチベーションがわかない状態。

 

そんなときは、以下をチェックしてみるとよいかもしれません。

 

1.その目標は達成する価値があると思えているか?
(達成したいと思えるほど魅力的か?)

 

2.その目標の達成は現実的か?
(達成される可能性はどれくらいだと思えるか?(何%くらいか?))

 

この、どちらかが欠けていると達成は難しくなります。

式にすると、

”目標 = 魅力的 × 可能性”

「魅力的」と「可能性」

どちらがゼロだと結果はゼロです。

 

また目標達成を加速させるものとして

「具体性」 があります。

いつ、どこで、だれと、なにを、どのように

これらが曖昧すぎると何をしたらいいのか、
どう動いたらいいのか解らず停滞します。

式にすると、

”目標 = 魅力的 × 可能性 + 具体的”

 

どれが欠けているのかなとチェックしてみると、
モチベーションをあげるための策がみつかるかもしれません。

 

よい一日を☆

山の日

8月11日は山の日なのですね。
去年制定された祝日みたいですが、
私は不定休なので、今年初めて気づきました。

山といえば、私も縁あって山を登る人たちからお誘いを受け、
何年か前から年に1~2回ほどですが、山を登らせて頂いています。
その体験は私にはかなり厳しいのですが、いろんな学びが隠されています。

今年も9月に仲間といっしょに行く予定なのですが、
それに向け体力をつけようと、近所を走ったり、歩いたりしています。
そのときに歩道橋を登り降りしながらトレーニングするのですが、
平らすぎて、規則的すぎて、ちょっと微妙な感じがします。

 

そこで気づかされるのは、
今の日常の場面はどれだけ作られて、
整備されたところにいるかということです。
そのため、ある程度、論理的に考えて、
予測がたてやすく、便利な環境と言えます。

それはとても有りがたいことではあるのですが、
自然な状態というわけではありません。

その点、山にいくと平らなところはありません。
階段のような、人の手で整備されたところもあるのですが、
その幅はまちまちです。
そこに身をおいたとき
脳の使い方は明らかに普段と異なっているなと実感します。

 

ある程度、不規則な道を不規則な動きで
登ったり、降りたりするとき
ああ今、不規則(自然)なものに接し、
対応しているなあ、という感じがします。
そこには、階段の登り降りのような規則的な動きとは違う
柔軟さを求められます。

普段使っていない脳の神経が活性化しているんだろうなあと
想像しながら登ったりしています。

 

カウンセリングしているときに
「こういう状態の人にはこういうスキル」とか
「このケースはこういう理論があてはまる」
とかいった理論、法則っぽいものもあるにはありますが、
”それが絶対だ”となるとうまくいきません。

その正しいとされるやり方からも脱却することが必要になります。
なんせ相手は生きた人間(不規則)ですから。

もちろん、カウンセリグだけでなく、
普段の人と人とのかかわり、コミュニケーションについても
同じことがいえます。

 

じゃあ、

「正しいやり方」というものは必要ないのか?

そう決め付けると、

それもまた柔軟性に欠けることになります。

 

明日もよい一日を☆