人にものを教えるということは

 

お疲れさまです。

 

いつもありがとうございます。

 

先日、久しぶりに開催したNLPマスタープラクティショナーコースが

 

おかげさまで無事終了しました。

 

自分は伝える立場ではありましたが、

 

実際にはその場、フィールドのなかで

 

私自身も毎回のように氣づきがありました。

 

私もまた学ばせてもらっているなと、

 

つくづくそう思います。

 

また、講座の前は毎回、書籍などで内容を再確認したり、

 

授業でレクチャーするワークを自分で実際にやってみたりしてから

 

当日の授業にのぞみます。

 

そのプロセスでも、

 

「おお!やっぱすごい!」

 

「以前と感覚が違うぞ」

 

「これは自分もまだうまくできてないな」

 

「なるほど!これは理解が浅かったかも」

 

というような氣づきが、

 

10年以上やっていてもまだまだあります。

 

というか、学べば学ぶほど

 

無知の部分が見えてきます。

 

人にものを教えるということは自分を見つめるということ

 

昔、カウンセリングの師からそう教わりました。

 

それは

 

先生が生徒に教えるとき

 

親が子供に教えるとき

 

先輩が後輩に教えるとき

 

上司が部下に教えるとき

 

など、さまざまな場面で適用できます。

 

それができると、自分も一緒に成長できると感じます。

 

そして、

 

「もう知っている」というのは最大の制限

 

ということをNLPのマスタートレーナーである

 

クリスティーナ・ホールは言っていました。

 

もちろん、仕事や学校の勉強などの場面では

 

「理解する」「知識を得る」ということも

 

その場面を前に進むために必要ですが、

 

他人と関わる、世の中を観る、自分を観る、自分を成長させるといったような

 

より大きなフレームにおいては

 

「まだ知らない」「知ってるつもりなだけかも」

 

という感覚が、とても大切だと、

 

人に伝えることをさせてもらいながら、

 

もう一度自分に言い聞かせます。

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

 

ココロはコロコロ変わる

 

お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

先日、「お好み焼きが食べたい」と思い

久しぶりに、お好み焼き屋さんにいきました。

 

結構、お腹いっぱい食べて、

最後は、

「もう食べれましぇん」「しばらくお好み焼きはいいわ」

という状態になりました。

 

空腹状態では「おいしそう」に見えるものも

満腹状態では「もういいわ」になります。

また満腹でなくとも

同じメニューや料理店が続いていると

「もういいかな」と感じることもあります。

 

しかし、また空腹状態になると

それが「おいしそう」に見えてきますし、

空腹でなくても、

そのメニューがもう食べれなくなると知ると

「たべたい」と感じることもあります。

(この前、関西に行ったとき、思わずカールを買ってしまいました。)

 

身体も、心も

常に一定ではなく

天気のように変わります。

 

そして

自分が見たり聞いたり感じたり考えたりするとき

そのコロコロ変わるものの影響を

もろに受けています。

 

もの 体験 他人 自分など、

それらを見るときの

自分の捉え方

 

それは確かなものなのだろうか?

 

と、そのように自分の状態を

ただ観ることは大切だと

改めて思い出す今日この頃です。

 

最後まで読んで下さり

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

 

スーパーハッピーバースデー己

 

おつかれさまです。

いつもありがとうございます。

 

ありがたいことに

先日、54回目の誕生日を迎えることができました。

 

Youtube見てたら、たまたま出てきた、

なかねかなさんの「ハッピーバースデー己(おのれ)」

という曲を聴いて

 

「なんだこれ!(笑)自己肯定感あがりそうな曲だな(笑)」

と思いましたながら聴いていました。

 

”己”で”己”にプラスのストローク(刺激)を

投げかけること、自分で楽しむことが大切だと、

感じさせてくれます。

 

 

自分が白血病を経験してから、

なんとなく同じ病気を患った人へ関心が向くようになりまして、

 

X(旧Twitter)上で、

私よりもだいぶ若い男性ですが、奥さんや子供さんもみえて

病床から投稿している人をみつけました。

その方、私が初めて投稿を見た時、

すでに余命数か月をつげられていたのですが

「今度一時退院したらどこへご飯食べに行こうか」とか

特に食べたいものを投稿していることが多く、
(そういえば自分も入院していたころラーメン屋に行く夢を何度も見ました。)

 

あまりに前向きな投稿が多く、

その余命宣告の日を、けっこう過ぎても投稿していたので

大丈夫なんじゃないか?助かるんじゃないか?

と、思うほどでした。

 

先日、

数週間ぶりにその方の投稿をみにいきました。

 

最新の投稿はその方が書いたものではなく、

その方の父親が書いたもので

丁寧な文章で、本人が旅だったことを知らせるものでした。

 

それを見て、

自分は会ったこともない人ですが

身体が震え、涙が出てました。

 

その方は亡くなり、

自分は今、生きている。

 

よく耳にする

「あなたが生きている今日は、だれかが生きたかった明日だ」的な

言葉が浮かんできて、

それを身体で感じたような氣がしました。

 

そして、

ただ、

だから、

やっぱり、

 

どんなときも

 

スーパーハッピーバースデー♪

己!

 

と思う54回目の夏の1日であります。

 

最後まで読んでくださり、

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆