自分が喜ぶ

 

お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

先日、私とNLPを通して関わりのある方から

結婚するとの報告を受けました。

すごく嬉しかったです。

 

釣りバカ日誌という映画がありますが

主人公のハマちゃんは妻のみち子さんにプロポーズの際、

こう言います。

 

「僕はキミを幸せにする自信はありませんが

僕が幸せになる自信はあります。結婚してください!」

 

この言葉、人によって受取り方が違うかもしれません。

なかには

「妻の幸せはどうでもよいってこと?」

「オレを幸せにしてくれよ~ってこと?」

という解釈をしてしまう人もいるかもしれません。

 

捉え方は人それぞれですが、

これをちょっと違う方向から見てみます。

 

例えばハマちゃんが人生最後をむかえることになったとします。

上の言葉どおりにハマちゃんが夫婦の生活を送れたなら

ハマちゃんみち子さんに

おそらくこう言うことになるのだろうなと想像します。

 

「あなたがいてくれたおかげで私は幸せでした」

 

 

先の

 

「僕が幸せになる自信があります」は

 

言い換えると

 

「あなたは私にとって喜びの存在です」

 

にもなるのではないでしょうか。

 

 

また、心理学やNLP的な観点から大切な点として

 

ハマちゃんが言っているのは

 

「僕を幸せにしてくれ」ではなく

 

「僕が幸せになる」です。

 

受け身ではなく、

自分が幸せになるということを言っています。

 

”自分の機嫌をとる”ということを

ここでも時々書かせてもらっていますが

 

他人の機嫌をとろうとすると

かえってこっちまで機嫌悪くなってくることがあります。

 

ステイト(心身の状態)は伝染します。

 

自分で自分の機嫌をとることができて

機嫌よくいられると

近くにいる人にもそのステイトが伝染していきます。

 

率先して自分が喜びを感じる

自分を喜ばせる

これは自分の為でもあり

相手の為、周りの為でもあります。

 

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

メッキが剥がれていく

いつもありがとうございます。

 

10年くらい前にリリースされた曲、

サザンの「栄光の男」を初めて聴いたとき、

その歌詞のなかで

 

「信じたものはみな~ メッキが剥がれてく~」

 

という部分が、すごく入ってきました。

 

 

心のことを学び始めたころから、

自分のなかでそれまで”権威”と思っていたものたちが

少しづつ崩れていきました。

 

令和になり、コロナ騒動が始まったころから、

それが一氣に加速した感があります。

 

というか、

自分の中だけでなく

世の中的にも、そのように私には感じます。

 

専門家、有名人、歴史上の偉人、大きな組織や団体、大手メディア、なんとか賞、など

 

”社会的な権威”

 

どんどんメッキが剥がれてきているようで。

 

剥がれるのを目の当たりして、

以前は「まんまと騙されていたなあ」と

ショックをうけたり

信じていた自分を「恥ずかしいなあ」と

感じることもありましたが、

 

今は、それらも

「氣づけてよかった!」と

感じれる自分がいます。

まだまだ見えていないものもあるのでしょうけどね。

 

X(旧Twitter)や、Youtubeを見ていると、

ある医師などの専門家に対して、

思ったことを意見している人がいたりします。

 

それに対して

「素人が専門家に口出しするんじゃねえ」

と叩いている人たちがいました。

 

私は

「ん?素人が”なんかおかしい”と感じたらダメなのか?」

「それを発言したららダメなのか?」

「それだと思考停止状態になるのでは。」

 

と思うのと、

 

自分もある種の専門的な仕事をしていますが、

その道について

自分より知っている素人さんがいることも知っているし、

自分が

「その道のことなら何でも知っている」みたいなのは

危ないと改めて考えます。

 

もちろん、社会的な権威を持った人のなかには

「やっぱり、すごいなあ」「ああ本物だなあ」と、

思える人もたくさんいます。

 

一方で、

そのような”社会的な権威”を

今は持ってない人のなかから

「なんかこの人、すげえぞ」と、

感じることもずいぶん増えたりして

それを嬉しく感じます。

 

「信じたものはみな~メッキが剥がれてく~♪」

 

桑田さんの意図ではないかもしれませんが、

 

わたしにとっては

 

外側のものだけで判断しない

ことだったり、

 

盲信には注意する

ということを

思い出させるアンカー(トリガー)にもなっていているようですす。

 

 

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

人にものを教えるということは

 

お疲れさまです。

 

いつもありがとうございます。

 

先日、久しぶりに開催したNLPマスタープラクティショナーコースが

 

おかげさまで無事終了しました。

 

自分は伝える立場ではありましたが、

 

実際にはその場、フィールドのなかで

 

私自身も毎回のように氣づきがありました。

 

私もまた学ばせてもらっているなと、

 

つくづくそう思います。

 

また、講座の前は毎回、書籍などで内容を再確認したり、

 

授業でレクチャーするワークを自分で実際にやってみたりしてから

 

当日の授業にのぞみます。

 

そのプロセスでも、

 

「おお!やっぱすごい!」

 

「以前と感覚が違うぞ」

 

「これは自分もまだうまくできてないな」

 

「なるほど!これは理解が浅かったかも」

 

というような氣づきが、

 

10年以上やっていてもまだまだあります。

 

というか、学べば学ぶほど

 

無知の部分が見えてきます。

 

人にものを教えるということは自分を見つめるということ

 

昔、カウンセリングの師からそう教わりました。

 

それは

 

先生が生徒に教えるとき

 

親が子供に教えるとき

 

先輩が後輩に教えるとき

 

上司が部下に教えるとき

 

など、さまざまな場面で適用できます。

 

それができると、自分も一緒に成長できると感じます。

 

そして、

 

「もう知っている」というのは最大の制限

 

ということをNLPのマスタートレーナーである

 

クリスティーナ・ホールは言っていました。

 

もちろん、仕事や学校の勉強などの場面では

 

「理解する」「知識を得る」ということも

 

その場面を前に進むために必要ですが、

 

他人と関わる、世の中を観る、自分を観る、自分を成長させるといったような

 

より大きなフレームにおいては

 

「まだ知らない」「知ってるつもりなだけかも」

 

という感覚が、とても大切だと、

 

人に伝えることをさせてもらいながら、

 

もう一度自分に言い聞かせます。

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆