それは無駄な質問だ!

リオオリンピックが閉幕しましたね。
さまざまな筋書きのないドラマがありました。
今回は日本の選手が予想以上に活躍してくれて
自分でも驚くくらい、選手達を応援する自分がいました。

ただ、ぶっちゃけて言うと、
自然と応援したくなる選手とそこまでという選手とがいました。
メディアも注目する選手に偏りがあったと思いますし、
ネットなどでの国民の反応もさまざま。

「応援される選手の資質はなんだろう?」

ということを考えたりします。
もちろん、華やかさみたいなものもあるのかもしれませんが、
浮かんでくるのは

自分のために戦っている選手と、

自分だけでなく日本というものを背負って戦っている選手

この違いはあるかもなあと。

もちろん、自分のためにが悪いわけではありません。
それは大切なことです。
ですが、後者のほうは私たちとより繋がっている感じがします。

レスリングの吉田選手が金メダルをのがし、

そのときのインタビューで彼女は号泣しながら

「たくさんの方に応援していただいたのに、銀メダルで終わってしまって申し訳ないです」
「日本選手の主将として、金メダル取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」
「もうこんなにたくさんの方に遠いところまで来ていただいたので、日の丸の旗や声援が
ものすごく聞こえてきたんですけど、最後自分の力が出し切れなくて申し訳ないです…」

そんなに自分を責めなくてもいいのにとも思いましたが、
彼女のその言葉からもわかるとおり、

支えてくれた人のために、
日本のために、つまり我々のために
日の丸を背負って
戦っていたのだと感じました。

他の世界大会よりもオリンピックはそれを求められる場。

一度だけ、たまたま街中で吉田選手を見かけたことがあります。
おそらく親戚の人たちだと思う方々がいっしょに何人か、
彼女は子供をおんぶしていました。
想像していたよりも体が小さく、その印象は普通すぎて
周囲がみんな気づかないくらい。
あの身体にどれだけの責任を背負っていたのだろうかと。

インタビューでの吉田選手の姿を観ていて
あらためて「ありがとうございます」と頭が下がり、
そして、これからも、もっと応援したいと感じました。

これはスポーツの世界だけではないのでしょう。

人の為と書いて偽と言う文字になります。
どれだけ、人のためといっても、
100%人の為というのは
人間である以上、ないのかもしれませんが
間違いなく、その純度が高い人はいます。
そういう人は自然と応援されるように思います。

応援される人になりたい。

つくづく思いますし、
そのために自分ができることは何なのだろうということを
考える今日このごろです。

明日もよい一日でありますように☆

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