卒園式の思い出

私の幼少時代、幼稚園の卒園式の思い出です。

本番前に何回か式の練習を全体で行っていました。

みんな隣の子としゃべったり、じっとしていなかったり、

先生の言うことをきかずにふざけたりしていました。

すると担任の先生が私たちに言いました。

「ちゃんと言うこと聞かない子は園長先生からひとりずつ”注意”してもらいます!」と

そのときの私は”注意”という単語も意味も知らなかったので、

私の脳は自分の知っている言葉で、響きの近い言葉を

自分の中から一瞬で探してきました。

それは、、、

”チュー”

という単語。

「ちゃんと言うこと聞かない子は園長先生からひとりずつ”チュー”してもらいます!」

園長先生は笑顔で穏やかそうな人ですが、

50代の男性です。

「い、嫌だ...。」

一瞬で、ものすごい恐怖を感じて、

そこから数日間、卒園式が終わるまで、

夜なかなか寝つけれないくらい、

夢にでるくらい真剣に怖がって悩んでいたのを覚えています。

自分が大人になってから、ふと、そのときのことを思い出し、

ああ、あれは”チュー”じゃなくて”注意”だったのか...。

ほくそ笑みつつ、気づきます。

もし、あのとき、”注意”という単語と意味が

自分のなかの地図にあったとしたら、

悩みにはなりません。

単に知らなかっただけ。

これは大人の我々でもよくあることです。

知らないだけで、悩みになることもあります。

逆に知るだけで、解消される悩みもあります。

明日もよい一日を☆

コツはコツコツ

うちの2歳の子はハム(スライスしてあるやつ)が好きです。
いつも食べやすいように小さくカットしてもらって、それを食べます。
先日もごはんの時間に一切れづつ、おいしそうにたべていました。

大人の分はカットせずに一枚そのまま食卓に出されていたのですが、
妻がおなか一杯で食べきれず、一枚残りました。
それを子供に見せて「たべる?」と聞くと、

「たべれな~い。」

そこで、ちょっと私のなかで好奇心が、、、

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これ、サイズを小さくしてみたらどうだろう?

一枚のハムをさらに小さく手でさいてみて、
もう一度「たべる?」と聞いてみると、

「たべる~♪」

そういって、結局、ほぼ一枚たべきりました。

また、こんな話もあります。

聞いた話なのですが、

あるリハビリテーション施設の患者さん。
その人は脳に損傷はあるものの、手は動くし、
食事自体する能力はあるのですが、
なかなか、自分で食事をとることができず、
介助が必要だったそうです。

そこで、試しにテーブルの上には
一つの皿しか置かないようにしてみたところ、
なんと、自分から食べようとし始めた。

それからコース料理のように一皿づつ出すように。
すると自分できちんと食事がとれるようになっていったそうです。

ああなりたい、こうなりたい、つまり、目標をもつとき

私たちはそのサイズがでかいほうがいいと、
思いがちなところもあります。
それでも、モチベーションが出せて、維持でき、
達成が出来るなら、それに越したことはありません。

しかしながら、
それが出来る人は、実はそんなに多くはなく、
大きすぎる目標を立ててしまうと、
かえってモチベーションが下がってしまう人が多数です。

個人差はありますが、
具体的に5割~7割くらい確率でうまくいきそうだ、
と感じれるくらいのレベルの目標が、
モチベーションが維持しやすいと言われています。

ああなりたい、こうなりたいという目標は、
大きすぎるなと感じたら、
出来そうなサイズに分割してみるのもいいでしょう。
もちろん、他人のと比べる必用はありません。

自分が食べれそうなサイズにしてみると、
食べたい、とうモチベーションが上がり、食べることができる。

自分ができそうなサイズにして、それをしてみると、
モチベーションのアップ、維持がしやすく、結果、全体的にできる。

よく「できることをコツコツやり続けることが大切」とか言いますが、
たしかに目標を達成(または問題を解決)するために、
なりたい自分になるために、
それは一つのコツなのでしょうね。

明日もよい一日を☆

まだ抱いておったのか

昔あるところに高名な禅僧がおりました。
彼が若いころ、友人の僧侶と二人で旅をしていました。

田舎の道を歩いていくと、
目の前を川が横切っています。
橋はかかっていません。

川幅も広くなく、深さもそれほどではなかったので、
川につかって歩いて渡るしかないと思っていたところ、
近くで若い女性が川を渡ることができず、
困っていることに気づきます。

「わたしの肩につかまって」

その僧侶は女性を抱きかかえ、川を渡りました。

女性は感謝しましたが、
その僧侶はそのことに特に気にもかけず
さっさと友人の僧侶とその先を歩いていきました。

しばらく歩いていくと、
不機嫌そうにしていた友人の僧侶が言います。

「お前はけしからん、僧侶の身でありながら若い女性を抱くとは!」

それに対し、

「ん、なに、若い女性?どこにおる?」

「なにをとぼけている、さっき川で女性を抱きかかえて渡したではないか!」

「はっはっはっ、あの女性のことか、私はさっき、女性を川を渡して、おろした。

おまえは、あれからずっと、まだ、あの女性を抱いておったのか。」

...

というお話。

わたしたちは、
ずっと持ち続けなくてもよいものまで
まるで大切なものかのように
抱え続けてしまうことがあります。

明日がよい日でありますように☆