今、ここ、自分

おつかれさまです。

以前、研修を受けるため、車を運転して、ある目的地に向かっていたところ、
予想外の渋滞にはまってしまいました。

かなり余裕をもって家を出たのですが、間に合うかどうかというところまで時間が過ぎ、
だんだんと、焦り、不安、イライラの感情が、自分の中をぐるぐると回りはじめます。

 

そのとき、自分のなかでこう唱えました。

「今、ここ、自分」

すると、目の前や周りの景色、
ハンドルを握る感触、アクセルとブレークの感触、
聞えている音楽、自分の中でつぶやいている言葉など、

今、五感で感じている感覚などに関心がシフトしていき、

そして、感情が少しづつおだやかに。

ギリギリですが時間に間に合いました。

もちろん、おだやかにしてても、イライラしてても、どんな感情でも、
到着時間に大きな変わりはなかったでしょう。

 

渋滞がやむかどうかは自分にはどうしようもない
自分にはコントロールできないものです。

 

起こってもいない未来を想像して不安になったり、

過去の失敗をいつまでも悔やんだり、

ここにないものを求めて不満を感じたり、

他人の言動に振り回されて不快になったり、

 

コントロールできないものに強い関心を持ってたところで、
それがどうにかなるわけではないので、ストレスが溜まります。

 

メジャーリーグで活躍した松井秀喜さん。

彼がヤンキース入団直後で、まだ不振だったころ、
現地メディアから厳しい批判を受けました。

それに対して気持ちを聞かれたとき、こう答えています。

 

「気になりません。記者が書くことは僕にはコントロールできません。

コントロールできないことには関心を持ちません。」

 

 

・自分にコントロールできることと、できないことを分ける。

・コントロールできないことに関心を持つのでなく、その代りに、
今の自分にコントロールできることに関心を持つ。

・それをする。

 

 

「今、ここ、自分」に関心を持つことで自分の心を穏やかに。

 

そして、そのために役立つ効果的な質問として

 

「(自分は) 今 何ができる?」

 

この効果的質問はシンプルで、とてもパワフルです。

 

明日もよい一日を☆

 

おつかれさまです。

私は元システムエンジニア(SE)で、

大学は理系だったと思われることがよくありますが、文系です。

SE=理系出身と思われている方が多いようですが、文系出身者はたくさんいます。

 

おそらく小学校のときのちょっとしたトラウマのおかげで

算数が好きでなくなったと自分で分析していますが、

中学に入っても、数学にはどこか苦手意識を持っていました。

 

ですが、ひとつ興味がわいた授業がありました。

 

「証明」です。

 

苦手だと感じていた数学のなかで、

これには自然とモチベーションがわいたのを覚えています。

特に面白いと思ったのが、

 

「解なし」とか「解はすべての実数」という答えがあるということです。

 

「数学なのに解がないという答えがある!」

それは衝撃的でした。

 

最近、人間関係で悩む人から

 

「何が正解かわかりません」と。

 

人は空白を埋めたくなる生き物です。

そこが埋められないとストレスを感じます。

問題の解答欄(空白)にはできるだけ早く、

正解を埋めたくなります。

 

しかし、数学にも「解なし」「解はすべての実数」という答えがあります。

 

人の心やその関係はより複雑で曖昧なものです。

 

何にでも、いつでも、正解があるわけではない、

また、どれも正解なのかもしれないということを受け止めれると、

 

より質の高い答えが見つかるかもしれません。

 

明日もよい一日を☆

自分を超えることができるのは

 

おつかれさまです。

雨の日が増えてきましたね。

晴れの日とはまた違う自分と向き合えるので

わりと雨の日も好きかも。

 

うさぎとかめが山の頂上まで競争をする話。

なぜ、うさぎはかめに負けたのか?

うさぎは何を見ていたのか?(どこに焦点を当てていたのか?)

かめは何を見ていたのか?(どこに焦点をあてていたのか?)

 

カウンセリングで、

クライアントさんと会話していると気づくのですが、

多くの人は、ちょっと自己評価の低い”状態”になっているとき、

「自分のできていないと思っているところ」

「他者のできていると思っているところ」

を比べることが多いようです。

 

そもそも、この比較自体、不公平です。

この比較の仕方で、自分が勝てるはずがない。

 

そして、

逆に、すこし勘違いしているときは、

「自分のできていると思っているところ」

「他者のできていないと思っているところ」

を比較してしまうこともあるように思います。

 

うさぎとかめの話に戻します。

かめはゴールを見て(どうなりたいかに焦点をあてて)

自分のペースで一歩一歩登り続けて、ゴールします。

うさぎはかめのペースをみて(他者の状態に焦点をあてて)、

まだ大丈夫だ(あいつより上にいる)と過信した結果、

かめに先にゴールされてしまいます。

 

最初から公平でない、その比較にどんな意味があるのか?

 

誰かに聞いたのか、本かなんかで読んだのか忘れましたが、

「自分を超えることができるのは自分だけ。」だと。

 

すなわち、

自分を”刷新”できるのは自分だけ。

 

とくに何かに不安を感じたり、迷いを感じているときは

「今」「ここ」「自分」に集中し、

 

「今、なにができる?」

その問いに答えながら一歩づつ。

 

その大切さと、凄さを、しみじみと感じる今日この頃です。

 

明日もよい一日を☆