お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

先月で終了した

「御上先生」というドラマを観ていました。

 

以下ネタバレがあります。

最終回で

松坂桃李さん演じる進学校の教師、御上が

高校生たちに送るセリフ

 

「考える力とは?」

「答えの出せない質問がこの世には多くある」

「考える力とは答えを出すことだけではない」

「答えの出ない質問は未来そのもの、それは弱者に寄り添う力となる」

 

印象に残りました。

私たちは多くの場面で

質問に対して、

論理的に、且つ、早く正確に答えを出すことができる、

というようなことを 考える力が高いことだと、

また、質問は必ず答えを出すものだと、

学校のテストなどを通して

無意識に刷り込まれてきたような氣がします。

 

そして、

脳は空白を埋めようとするクセがあるので、

答えが出ないのは不快だったりしますし、

 

実際に生きていくうえでは

一旦、仮の答えを出したり、

質問すること自体を止めて、

前に進めたほうがよいときもあると思います。

 

ただ、影響の大きい大切な問いなど

答えのなかなか出なかったりするような質問に対して

さまざまな経験を積み

さまざまな考えに触れるなどして

その質問に対して

自分なりに考えを巡らせ、

そのときの自分で

アップデートしていこうとすること。

それが考える力を育てる、成長し続けるのに役立つと

あらためて思いました。

 

脳科学的にも、それをするしないで

シナプスの繋がり方や電気信号の伝わり方が

大きく違いそうです。

 

人生のどこかで答えが出るものもあれば

一生、出ないものもある。

質のよい質問は可能性を広げる。

 

ドラマではこれから社会に出ていく高校生たちが

いくつもの答えの出ない質問に対して

取り組んでいく姿を表現していましたが、

 

「もうわかっている」と思い込んでいる、

でも、

「これからも成長していきたい」とも思う。

そんな大人たちにとっても重要な

心に留めておきたいことだと思いました。

 

「おまえさん、すぐに答えを出そうとするね。わるいクセじゃ。」

(「ブッタとシッタカブッタ」より)

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

明日もよい一日を☆

ありがとうございます

 

おつかれさまです。

いつもありがとうございます。

 

私は今、毎日ではありませんが

一日に1000回以上「ありがとう」という言葉を言う

ということをしています。

 

目標は年齢×1万回。

今年56歳になりますが、誕生日までに終わらないと思うので

57万回か58万回を目指してやっています。

 

昔読んだ小林正観さんという方の本に

”「ありがとう」という言葉を年齢×1万回言うと奇跡が起こる”

と書かれていました。

「ありがとう」というときは

べつに氣持をこめてなくてもOKなのだそうです。

 

それを真に受けて40代前半のころに一度やってみました。

そして年齢×1万回を達成。

 

因果関係はわかりませんが

そのときは第一子を授かりました。

 

そこからしばらくやっていなかったのですが

白血病で入院した時に病室のなかで

状況的にやれることも少ないし、やった方がいいと思ったので

毎日、言っていました。

このときはずっとベットの上だったので

何千回も言える日もあり、

入院期間中に年齢×1万回をこえました。

 

もちろんこれは

これも他にもいろいろやってたり

やってもらったりしていましたから

これだけが作用したというわけではないと思いますが

緩解して無事に退院できました。

 

退院してからも、引き続きやっていたら

また年齢×1万回を達成するくらいのころ

第三子を授かりました。

まさに奇跡だと思いました。

これも因果関係はわかりませんが

ただ、「ありがとう」という

波動のよい言葉を唱えることは

”百利あっても一害なし”

だと思っています。

ダダだし。

ただ めんどくさい というのはありますが

別にめんどくさいと感じながらでもよいようです。

 

人はひとりになると

自分では氣づいていなくても

頭のなかでいろんなワードを巡らせます。

その回数は一日に数万。

ネガティブなワードを反芻させている人も少なくありません。

 

心理学的にも

「ありがとう」を何回も言うというのは

ネガティブワードの反芻を減らすという効果もあり

また「ありがとう」というポジティブワードを言うクセづけをする

という意味でも役立ちます。

 

最近ではネガティブな感情を感じ始めると

「ありがとう」と内側で呟き始める自分がいます。

妙なアンカー(条件付け)ができました。

 

なんか今、

井上陽水さん&奥田民生さんの名曲「ありがとう」が

頭のなかに流れてきました。

 

最後まで読んで下さり

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

劣等感

お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

「劣等感」

それを周りから与えられてしまうこともあります。

 

言語的、直接的、明示的な形もあれば

非言語的、間接的、暗示的なものもあります。

また、意識的なものもあれば、

無意識的なものもあります。

 

メディアの流す情報にも

ある一定の価値観が隠されていて

こういうのはOK

こういのはOKでない

というメッセージが暗に含まれていたりします。

 

例えば私の世代でいくと

学歴もそのひとつ。

 

私や私よりもさらに上の人たちは

今よりも

学歴が高いほどその人の価値が高い

という価値観を強く刷り込まれていたと思います。

 

実際に社会に出て職場で感じたのは

学歴が高くて仕事が出来る人もいれば、

そうでない人もいる

逆に学歴が高くなくても仕事出来る人は出来る

ということでした。

 

意識的にも、無意識的にも

周りが劣等感を

与えようとしてくることはあります。

 

しかし、実は

それも受け取らなければ

劣等感にはなり得ない。

 

本当は

誰もあなたに劣等感を与えることはできない

ということです。

 

私自身も過去を思い返すと

劣等感を受け取ってきたのは自分

だったのだということに氣づきます。

 

もし、周りがあなたに

劣等感を感じさせるようなストロークを投げてきたら

受け取らず拒否する

ということを意識してみるとよいでしょう。

たとえば

「いらなーい」

と、つぶやいてみてみるのもいいかも。

 

最後まで読んで下さり

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆