メッキが剥がれていく

いつもありがとうございます。

 

10年くらい前にリリースされた曲、

サザンの「栄光の男」を初めて聴いたとき、

その歌詞のなかで

 

「信じたものはみな~ メッキが剥がれてく~」

 

という部分が、すごく入ってきました。

 

 

心のことを学び始めたころから、

自分のなかでそれまで”権威”と思っていたものたちが

少しづつ崩れていきました。

 

令和になり、コロナ騒動が始まったころから、

それが一氣に加速した感があります。

 

というか、

自分の中だけでなく

世の中的にも、そのように私には感じます。

 

専門家、有名人、歴史上の偉人、大きな組織や団体、大手メディア、なんとか賞、など

 

”社会的な権威”

 

どんどんメッキが剥がれてきているようで。

 

剥がれるのを目の当たりして、

以前は「まんまと騙されていたなあ」と

ショックをうけたり

信じていた自分を「恥ずかしいなあ」と

感じることもありましたが、

 

今は、それらも

「氣づけてよかった!」と

感じれる自分がいます。

まだまだ見えていないものもあるのでしょうけどね。

 

X(旧Twitter)や、Youtubeを見ていると、

ある医師などの専門家に対して、

思ったことを意見している人がいたりします。

 

それに対して

「素人が専門家に口出しするんじゃねえ」

と叩いている人たちがいました。

 

私は

「ん?素人が”なんかおかしい”と感じたらダメなのか?」

「それを発言したららダメなのか?」

「それだと思考停止状態になるのでは。」

 

と思うのと、

 

自分もある種の専門的な仕事をしていますが、

その道について

自分より知っている素人さんがいることも知っているし、

自分が

「その道のことなら何でも知っている」みたいなのは

危ないと改めて考えます。

 

もちろん、社会的な権威を持った人のなかには

「やっぱり、すごいなあ」「ああ本物だなあ」と、

思える人もたくさんいます。

 

一方で、

そのような”社会的な権威”を

今は持ってない人のなかから

「なんかこの人、すげえぞ」と、

感じることもずいぶん増えたりして

それを嬉しく感じます。

 

「信じたものはみな~メッキが剥がれてく~♪」

 

桑田さんの意図ではないかもしれませんが、

 

わたしにとっては

 

外側のものだけで判断しない

ことだったり、

 

盲信には注意する

ということを

思い出させるアンカー(トリガー)にもなっていているようですす。

 

 

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

 

明日もよい一日を☆

コメントを残す