傍らから自分を観る

お疲れさまです。

いつもありがとうございます。

 

入院していたとき

ドクターや看護師さんだけでなく、薬剤師さんも、しょっちゅう様子を見に来てくれていました。

その薬剤師の先生から

「渡邉さんはご自分をうまく観察していますね。僕らも「なるほど」と思うことが多いです。」

と褒めてもらい、嬉しかったです。

 

長期入院のなか、ずっとベッドの上で過ごしていると

身体的には筋力がだいぶ落ちましたが、

精神的にはいくつか鍛えられた面もあると思います。

 

そのひとつが

傍観的視点(ディソシエイト)で自分を観るということです。

(NLPでは主観的視点で見ることをアソシエイト、傍観的視点で見ることをディソシエイトと呼びます。)

 

入院してから常に自分をもうひとりの自分が観察しているような感覚がありました。

私の場合、幸いなことに

白血病にかかる前にNLPや心理スキルのトレーニングをしてあったので

最初から無意識的に傍観的視点で観ること(ディソシエイト)ができたのかなと思います。

また、そうしないとやってられないというのも無意識は知っていたのかもしれません。

 

例えば

「「恐いなあ」「不安だなあ」と感じている自分がいる。大病だし、入院するのも初めてだから当たり前だ。」
「今「あーイライラする」と感じている自分がいるな。10段階で評価するなら7か8くらいか。夜か明日には2か3くらいになっているといいな。」
「今、自分はネガティブなものに焦点をあてているな。それの代わりに自分が焦点を当てたいのは何だろう?」
「今、自分は「ねばならない」という気持ちが強めかもな。「に越したことはない」や「まあいいか」を意識してみよう」
「(枕についた髪の毛をみて)いよいよ毛が抜けてきたな。やっぱり「嫌だな」と感じている自分がいる。
どうせ全部抜けるなら、先に丸刈りにしてもらっておいたほうがこの感覚を減らせるかもな」

 

など、自分をなるべく客観的に観察し、そこから分析したり考えていたように思います。

 

主観的視点(アソシエイト)で体験するのと、

傍観的視点(ディソシエイト)で体験するのでは

感じ方はかなり違います。

 

ジェットコースターに乗って、まさにそれを体験しているときの感覚と

ジェットコースターに乗っている自分を撮影してそれを鑑賞しているときの感覚はかなり違います。

 

そして

主観的視点(アソシエイト)で体験しているときに

冷静に考えることは難しい。

冷静にものごとに対峙できるのは

傍観的視点(ディソシエイト)で観ているときです。

 

不満がわいたり、イライラしているときも

「今、イラついている自分がいる。そして、数日前の自分はただただしんどくて、何の氣力もわいてこなかったよな。」

と自分の状態の変遷に意識的だと

「そうか、数日前に比べて今はイラつく余裕があるということ、そのエネルギーがあるということか」

とポジティブな再解釈もしやすくなります。

これは時間軸を横から、傍らから観た感じです。

 

昔、カウンセリングで、「それの良い点は何か?」「それは他にどんな意味があるか?」

といったふうに、ものごとに対する認知の枠組を変えるリフレーミングという手法を

あるクライアントさんにレクチャーしてみたところ

「考えるのがしんどい」と言われました。

 

その方はその時はまだ、どっぷりと鬱に入り込んだ状態だったので

考えることは極めて難しかったようです。

 

その方がリフレーミングできるようになったのは少し回復してきてからでした。

 

傍観的に観ることが難しいとき、渦中にいるとき、

あれこれ考えても、ろくな答えが出てこない。

そういうときは、その渦というか、ネガティブな箱というか、

そこから自然と抜け出るのを待つというのもひとつです。

時間が経つだけである程度、そこから抜け出せることも多い。

 

人間の脳は時間が経つと出来事との距離を感じやすくなります。

傍観的に観るにはある程度の距離があったほうが観やすい。

 

ネガティブな感情が強く出ているときなどは

「今、自分は渦中にいる」と、なるべく早めに気づき

その出来事に対して、

評価や下手な意味づけはせず、

考えるのは後回しにしてみてもよいでしょう。

 

また、物理的に場所を変えてみるのも手です。

「さっきあの場所にいた自分は…」といった感じで。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

明日もよい1日を☆