一切唯心造

みなさま

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

今年も近くの海岸に初日の出を拝みにいってきました。

 

今回は特に寒かったですが、

やはり氣持ちがよくなります。

 

初日の出を拝むという習慣は日本独特のものだそうです。

それもまた有難く感じます。

 

さて、今日は江戸中期の禅僧、白隠禅師と若い侍のやりとりを紹介します。

 

 

 

あるとき、白隠和尚のところに一人の若い侍が訪れてきました。

 

若侍は白隠に問いかけます。

 

「地獄は有るのでしょうか?無いのでしょうか?」と。

 

白隠は若侍をちらっと見て言います。

 

「あんたは見た目は立派な武士だが、いい年をして、まだ地獄が有るのか無いのかとは、あきれたやつだ!」

 

と罵り、さらに、

 

「不忠の臣、不孝者! 腰抜け侍!」

 

と、さんざん罵倒します。

 

 

初めは有名な高僧の言うことだからと

 

歯をくいしばって耐えていた若侍も我慢しきれなくなり、

 

ついに激情して、いきなり刀を抜いて白隠に斬り掛かります。

 

 

白隠和尚は巧みに逃げまわりますが、

 

しだいに追い詰められて、

 

今まさに斬られそうになったその瞬間、

 

 

「そこが地獄だ!」

 

と、若侍に向かって鋭い叱声を飛ばします。

 

 

その言葉を聞いた若侍はふと正気を取り戻し、

 

「そうか、、、」と合点します。

 

さっきまでの鬼の形相もどこかに消え、

 

思わずそこに平伏して言います。

 

「わかりました。地獄の所在がしかとわかりました。」と。

 

 

すると白隠もにっこり笑って言います。

 

「そこがまた極楽よ!」

 

(参考『白馬蘆花に入る-禅語に学ぶ生き方-/細川景一著』)

 

 

地獄も極楽も心の中 自らの心が作り出したもの。

 

”一切唯心造”

 

すべてのものごとはただ、こころが造り出している。

 

この言葉、本当にわかるのは容易ではないかもしれませんが、

 

2021年を歩んでいくにあたりひとつのキーワードにしていこうと思っています。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

皆様にとってよい一年でありますように☆