人は第二の矢にやられる

 

戦で矢を受けたとします。

 

「なんで私がこんな目に」
「こんなヘタをするなんて、、、」
「これ毒ついてるのかな?」
「誰がやりやがったんだ?!」
「最悪だよ~」

 

と考えたり、思ったり、パニックになっているうちに、

傷口がどんどん酷くなっていく。

また、考えているうちに

外からの次の攻撃を受けてしまうかもしれません。

矢を受けたことが致命傷ではなく、

それに対する、反応の仕方で、

致命傷になっていってしまう。

 

 

この、矢を受けた後の

合理的でない思考、行動、ネガティブなパターン自体が

”第二の矢”になります。

 

 

”二の矢を受けず”

 

これは仏教の言葉です。

 

我々は生きていればいろんなことが起こります。

大なり小なり、難はあります。

難がひとつもない人生はあり得ません。

 

たとえば、

 

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リストラされた。
試験に落ちた。
恋人にふられた。
ケガをした。
病気になった。
お金がなくなった。
人から悪口を言われた。

など、

その難と感じる出来事が起こったとする。

これが第一の矢。

 

それらに対して、怒りや悲しみを感じるのは、

人間だから、仕方のないことです。

しかし、それを感じ続けていたり、

ネガティブな思考や感情を増幅させたりすると

それが第二の矢となり得ます。

 

もし、柔軟な思考や振る舞い、

あるいは跳ね除けるくらいの強い思いなどがあれば、

それは避けられるでしょう。

 

例えば、リストラされたという出来事に対して

「もうおしまいだ」「私は役立たずだ」と受け止めたらそれは第二の矢を受けることになりますが、

「せっかくだから、この際、なにか新しいこと、自分がやりたかったことを探してやってみよう。これはチャンスだ」

と、心から思えたとしたら、第二の矢にやられずに済みます。

 

人がやられるのは第二の矢。

 

これは、

自分の考え方、感じ方、あり方、心身の状態によって

避けることができます。

 

二の矢をかわす力を育てていきたいものです。

 

明日もよい一日を☆

 

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