山の日

8月11日は山の日なのですね。
去年制定された祝日みたいですが、
私は不定休なので、今年初めて気づきました。

山といえば、私も縁あって山を登る人たちからお誘いを受け、
何年か前から年に1~2回ほどですが、山を登らせて頂いています。
その体験は私にはかなり厳しいのですが、いろんな学びが隠されています。

今年も9月に仲間といっしょに行く予定なのですが、
それに向け体力をつけようと、近所を走ったり、歩いたりしています。
そのときに歩道橋を登り降りしながらトレーニングするのですが、
平らすぎて、規則的すぎて、ちょっと微妙な感じがします。

 

そこで気づかされるのは、
今の日常の場面はどれだけ作られて、
整備されたところにいるかということです。
そのため、ある程度、論理的に考えて、
予測がたてやすく、便利な環境と言えます。

それはとても有りがたいことではあるのですが、
自然な状態というわけではありません。

その点、山にいくと平らなところはありません。
階段のような、人の手で整備されたところもあるのですが、
その幅はまちまちです。
そこに身をおいたとき
脳の使い方は明らかに普段と異なっているなと実感します。

 

ある程度、不規則な道を不規則な動きで
登ったり、降りたりするとき
ああ今、不規則(自然)なものに接し、
対応しているなあ、という感じがします。
そこには、階段の登り降りのような規則的な動きとは違う
柔軟さを求められます。

普段使っていない脳の神経が活性化しているんだろうなあと
想像しながら登ったりしています。

 

カウンセリングしているときに
「こういう状態の人にはこういうスキル」とか
「このケースはこういう理論があてはまる」
とかいった理論、法則っぽいものもあるにはありますが、
”それが絶対だ”となるとうまくいきません。

その正しいとされるやり方からも脱却することが必要になります。
なんせ相手は生きた人間(不規則)ですから。

もちろん、カウンセリグだけでなく、
普段の人と人とのかかわり、コミュニケーションについても
同じことがいえます。

 

じゃあ、

「正しいやり方」というものは必要ないのか?

そう決め付けると、

それもまた柔軟性に欠けることになります。

 

明日もよい一日を☆