ムダなこと

先日の主催したビジョンマップのセミナーのときに
「ムダなこと」というキーワードが何か気になって、
それを自分のビジョンマップに貼りました。

その数日後のこと、妻と子どもとショッピングセンターへ
駐車場から店内に向かう途中にゲームコーナーがあり、
UFOキャッチャー的なものに目がとまります。

私はこういうの殆どやりません。
普段なら素通り。
瞬時に景品のおよその値段と、
そのゲームにかかる費用を天秤にかけて、
「ムダだ」と冷静に判断していました。

しかし、ことのときは、
自分の中から、もう一人の自分が、
小さな声で
「ちょっとやってみたら~」と
つぶやいたような、
そんな感覚がしました。

100円で2プレイ
景品は「プチ」というよくあるお菓子。

子どもは「パパ!ピンクのやつがいい!」

「わかった!まかしとき!」

妻と子どもが見守るなか、
最初の100円投入!
ピンクのパッケージのそれをねらって、

1回目、とれず。

2回目、とれず。

「もう100円!」

3回目、とれず。

4回目、とれず。

「じゃあ、300円までOKにしよう。」

5回目、とれず

6回目、やっぱりとれず。

「じゃあ、あともう100円だけ、これが最後や!」

7回目、とれず。

8回目!



とれず...。

あきらめて買い物へ。
そのゲームコーナーのすぐ隣には駄菓子コーナーがあり、
同じお菓子が、
100円以下で売っていました。(笑)



「ムダなこと」
そもそも「ムダなこと」って?
もし、「ムダなこと一覧」とか世の中にあったら
ちょっと生きにくそうだなあと。

もし、自分の内側の世界に、
自分自身でそのリストを作っているとしたら、
それを絶対だと思っているとしたら、
時々チェックしてあげたほうがいいかもしれません。
もちろん、検証してやっぱりムダだとなることもあるでしょう。
しかし、それは状況によって動く気もします。

私は現在、NLPのトレーナーとして講座を担当させて頂いていますが
トレーナーの選考審査は3回目で合格しており、
先の2回は落ちています。

1回目、
一次審査で落選。
それを知った瞬間、何十年かぶりに悔しさで涙しました。
「ああ、それだけ、本当にそれが欲しいことだったのか」と、
気づくことができ、

2回目、
またしてもダメだったときに、
「それでも目指すか?現状を変える気があるか?」と、
本当にその”覚悟”があるかどうかを
もう一人の自分に確認されるような感覚があり、
「何度でも挑戦する」とはっきり言うことができた。
そして、そのすぐ後、
長く働いた会社を辞めるという大きな目標も達成。
これは”覚悟”がなければできなかったかも。

3回目、
ようやく審査に受かって、
トレーナーの認定証を受けとった瞬間、
頑張ってきた分、いろんな人に応援してもらった分、
今度は嬉しさで涙することができた。

結果として、合格するまでの間、学ぶ時間が人より余分にあったからか、
資格取得後は直ぐに講座デビューさせてもらえることにもなりました。

今となっては、
あの落選がもたらした自分の変化、
あれは2回の落選した体験があってよかった。
本当にそう思えます。



さて、さっきのゲームの話の続き、

2時間くらいして、買い物をすませ、駐車場に向かう途中、
またさっきのゲームコーナーの横を通ります。
その隣には駄菓子コーナー

「もう一回だけ、やってみたら~」
と、心の中のつぶやきが。

「よし!もう100円だけ、、、小銭もなくなってきたから、これが本当に最後のチャンス。」

妻も「パパがもう一回やるって!」と、
子どもが「えー!パパ、ピンクのやつ、ピンクのやつ!」と
二人が見守るなか、

9回目、


とれず、



最後の、

10回目、





ガタン!

そのお菓子が受け取り口に!

景品をゲット!

子どもがとなりで、目を見開きながら
「パパ、すご~い!やったー!」と、
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでくれ、
妻も私もテンションが上がって
一瞬ですが、家族みんなで喜ぶ時間となりました。

結局、100円のお菓子をとるのに賭けたのは500円。
でも、”損した”という感情はまったく無く、
逆に、大げさかもしれませんが
”幸福感”を感じれたような気がします。

じゃあ、またそのゲームをするのかというと、
多分またしばらくはしないでしょう。

そのタイミング、そのメンバー、その場所、
そのときの自分の心の状態だったから、
それをやることの意味があったのでしょう。

ただ、
もし、自分の内側に、
「ムダなことリスト」があるとしたら、
それも検証しながらいきたいなあと、
私の今年のテーマのひとつです。

明日もよい一日を☆

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。